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2011年12月21日
2011/12/4礼拝メッセージ
2011年12月4日の礼拝メッセージの要約です。
マルコ1:1~4
「キリストを迎える備え」
1. 福音のはじめ
「神の子イエス・キリストの福音のはじめ。」この言葉からこの福音書は始まります。キリストとは、「油注がれた者」「王」という意味です。つまり、イエスは油注がれたものであり、神が私たちに与えられた救い主、そして王であることを表しています。福音とは「よい知らせ」です。イエスが、私たちの救い主であり王であるというよい知らせ、そのはじまりとこの福音書は最初に宣言します。
2. 良い知らせ
良い知らせとは何でしょうか。マルコがこの言葉から始めたのは、この言葉を告げるその前に、この知らせを待ち望む人々がいたからです。イエスが救い主であり、王である、この知らせが「良い」と思えるのは、救い主を待っていた人々です。それでは誰がこのキリストを待ち望んでいたのでしょうか。その人々は、旧約聖書に証されている人々です。聖書で語られているのは、人類の創造から始まり、神の前を追われ、神不在の混乱した世界におかれた人々の姿です。その中に、目に見えないまことの神を求める人々が出てきます。それが後にイスラエルの民となります。彼らは世における多くの苦難を通されます。そして、彼ら自身の力では乗り越えることができないことが明らかにされます。それどころか、むしろ神を見失い、神への不信仰に陥ってしまう民の姿が克明に描かれます。それでも、神の側から神の民に警告と招き、そして信仰を通しての救いが与えられ続けていくのです。人々は願います。貧しさにある人々が、豊かさの中に生き、不正が正され、悪ではなく、真に正しい者が栄える世界をと。それはイスラエルの叫びでもあり、実は私たち自身の叫びでもあるのです。
3. 道を整える
その世界に一筋の光が与えられます。それが「イエス・キリスト」でした。そして、キリストの直前にその道を備える者が現れるということも語られています。人々が待ち望んでいた救い主の道備えをする者が現れます。それがバプテスマのヨハネでした。私たち、どのような思いでこのキリストという方を迎えたらよいのでしょうか。救い主、私たちの王を向かえるにあたって、向かえる側に「整える」ことが求められています。「悔い改めよ」とヨハネは語ります。それは神のもとへと再び私たちが方向を向けることなのです。私たちも救い主を迎える備えをしてまいりましょう。
投稿者 mb-church : 2011年12月21日 16:50