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2011年10月09日

2011/9/18礼拝メッセージ

2011年9月18日の礼拝メッセージの要約です。
創世記30:25~43
「最善を尽くして」

1. 先が見えない中で
 どうにも先が見えない。しかし決断しなくてはならない。そんな状況にヤコブは直面しました。ラバンの下での約20年。決して短い時間ではありません。そこでさらけだされたのは、自らの足りなさ、弱さでもありました。しかし、時は経ち、彼はすでに一族の長になる、そのような年齢にも達していました。しかし彼には何の財産も保証もなかったのです。そこで、彼はラバンに思い切って提案します。「私を去らせ、私の故郷の地へ帰らせてください。」彼は本当に、誠実にラバンに仕えてきたのでしょう。実直に、誠実に働いてきた彼の姿を、私たちは想像することができます。

2. 叔父ラバン
 ラバンはヤコブにこのように言いました。「まじないで知っている」と。ラバンは、ヤコブに「主」という共通の言葉を使いながらも、言っている内容はまるで見当違いのことを言っています。ラバンは、まことの神の名を知りながらも、その土地の偶像崇拝に深く傾いていた人物でした。その土地の神々に心が支配されているラバン。その一方で、誠実に歩もうとするヤコブの姿が対比されています。ヤコブは、今の繁栄は「主が祝福されたからだ」と答えています。そして、彼は「私自身の家を持ちたい」と嘆願します。ラバンとの交渉の中で、ヤコブは一つの提案をします。彼の報酬は「羊とやぎ」でした。それも、羊は黒毛で、やぎはぶち毛やまだら毛のものでした。この提案はラバンの目には有利なように思えました。しかし、ヤコブはここで主に信頼しつつ、彼の最善を尽くすのです。

3. 最善を尽くして
 ヤコブは当時の牧畜の知恵を尽くして、この局面に向かいました。このヤコブの姿は何を物語っているのでしょうか。ここでのヤコブは、20年近くにわたり得てきた知識と知恵を用いて、彼のなしうる最善を試みているのです。神を信じて歩むということは、ただ神頼みをすればよいのとは違います。神がともに歩まれていることに力を得、そして神が与えてくださっている力を用い、最善を尽くすのです。ヤコブは、この20年間で確かに学んでいました。神とともに誠実に、そして最善を尽くすときに、神はその信仰に、その信仰を土台とする行動に必ず応えてくださると。そして彼は神に感謝するのです。ここに私たちの生きるあり方があらわれてくるのです。

投稿者 mb-church : 2011年10月09日 08:28