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2011年08月20日

2011/7/3礼拝メッセージ

2011年7月3日の礼拝メッセージの要約です。
創世記25:1~18
「その民に加えられる」

1. 晩年のアブラハム
 信仰の父としてのアブラハムから私たちは学んできました。その生涯を通してあらわされたことは、そのまま信仰者としての私たちの生涯とも重なり続ける物語です。ここでアブラハムは、幸いな晩年を迎えていることが分かります。彼は晩年にもう一人の妻をめとり、さらに子供にも恵まれました。「平安な老年」「長寿」すばらしい言葉です。彼は75歳のときに、住み慣れた地を離れ、神の声を求め、神とともに歩む歩みを始めました。そしてそれから100年、信仰者として歩みをします。この間、彼が求めていたものとは何だったのでしょうか。それは神から与えられた約束でした。「地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」

2. 神の約束
 彼の生涯にあらわされているのは、神の約束の真実です。神ご自身を求め、神のみこころと聖さ、そして神への信頼をもって歩み続けるならば、必ずその人を神は導き、その生涯をまっとうさせてくださるという約束です。一人一人の生涯はもちろん異なります。しかし、私たちは神にあって完成する神の作品なのです。彼は「その民に加えられ」ます。これはとても大切な言葉です。私たちが神の民となる、それはアブラハムの生涯のテーマでもありましたし、またアブラハムの後に連なるイサク、ヤコブ、さらにはイスラエルの民、そして後にイエス・キリストにあって、すべての人々に開かれ、招かれている道でもあります。神は「すべての民」を祝福するために、アブラハムを選ばれ、またその後に続くイスラエルを選ばれました。教会も同様です。私だけが救われるため、神を信じて生きるのではありません。その先にあるのは、周囲の人々が、神の祝福へと招かれるためなのです。

3. その民となる
 「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。(黙示録21:3、4)」ここに、私たちがその生涯を通して目指すべき神の国が示されています。アブラハムもこの約束の地へと入ることを許されたのです。私たちもまた信仰の歩みに生きていくときに、「その民に加えられる」という言葉が、私たちに語られ続けるのです。

投稿者 mb-church : 2011年08月20日 15:50