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2011年08月20日
2011/7/24礼拝メッセージ
2011年7月24日の礼拝メッセージの要約です。
礼拝堂改修後の初礼拝の日でした。
エペソ人への手紙1:8~10、3:6
「一つに集められる民」
1. 会堂とは何か?
古く創世記では、礼拝の場で「祭壇」を築きました。モーセの時代に入ると幕屋を設置しました。この幕屋は礼拝をする場所というだけではありません。イスラエルの民全体が神を中心に置くことを示す、そのような場所でした。ダビデの時代に入ると、幕屋は神殿へと変わります。ここで大事なことは、決して幕屋や神殿に神が安置されているのではないということです。むしろそれは、罪ある人間が神と対峙することの困難さ、そこにある隔たり、それを意識させるものだといえます。そして神をこの地に迎えるための備え、あり方、それらを問うものでもあります。その神殿がユダヤ人のシナゴーグ(会堂)へと移り変わります。初期のキリスト教会も、会堂を中心に展開しました。その後、約2000年の間、会堂は様々な変遷をたどることになります。しかし時代や文化、それぞれの影響を受けつつも、その中心点は変わることはありません。
2. 四つの視点
会堂を私たちはどのように考えればよいのでしょうか。一点目。会堂は神を意識し、覚える場であるということ。会堂は、良い意味での神へのおそれと、神への純粋な思いを持つことができる空間です。二点目。会堂は、私たちが絶えず救われていることを確認し続ける場だということ。私たちは、キリストの十字架によって罪から救われ神の民とされています。そのことがこの会堂で絶えず語られ、覚え続けられます。主の聖餐はそのことを最もよく表しているものです。また教会における交わりも、主イエスとの再会と祝宴へとつながるものです。会堂はキリストにある豊かな交わりをも実現するものだと言えるでしょう。三点目。それは会堂で神のことばが開かれ、歌われ、聴かれるということ。このことも時代を超えて保持されていることです。四点目。それは在留異国人、異邦人を招く場であるということ。「地上のすべての民族は、あたなによって祝福される。」神のご計画は、すべての民をご自身の側へと招くことにあります。この会堂は、すでにキリストを信じ招かれている人と、今信じようとしている人、それだけではなく信じるよう導かれてくる人、そのすべての者たちのためにあります。会堂をただ見栄え良く、きれいにするのではありません。その一つ一つに私たちは神が教えてくださることを織り込み、そして建て上げて行くのです。キリストにあって一つに集められるのは後のことです。しかし、今ここに起こりつつあることでもあるのです。
投稿者 mb-church : 2011年08月20日 15:53