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2011年03月15日

2011/2/6礼拝メッセージ

2011年2月6日礼拝のメッセージ要約です。
創世記22:1~4
「試練の最中に」

1. 神の試練
 この22章は、アブラハムの晩年の物語です。この章に書かれているのは、彼の生涯の、特に信仰の歩みにおける集大成の出来事と言ってもいいものでしょう。一人の人の生涯の重みと、そこに関わり続けられた神様の物語がここに記されています。神がアブラハムに試練を与えた、とあります。それは大きな難問でした。息子イサクをささげなさいということ。「試練」という言葉では収まりきらない命令です。なぜこのような声がアブラハムにあったのでしょうか?「これらの出来事のあと」それはこれまでアブラハムの通ってきた数々の出来事の後、という意味でもあります。人生の総決算の時に、アブラハムに与えられた試練がこの命令だったのです。

2. 全焼のいけにえ
 「あなた愛しているひとり子イサク」とあります。神はイサクを「全焼のいけにえ」としてささげなさいと言われました。全焼のいけにえは、すべてを神様にささげることを意味しています。その行為には、神への信頼、愛、忠誠、そのすべてが込められています。それだけではありません。この全焼のいけにえによって、神への罪が贖われる、つまり罪が赦されるということでもありました。なぜ、アブラハムの晩年に罪が問われているのでしょうか。彼は信仰の人でした。しかし、同時に弱さを抱えた人でもありました。神はそのどれをも守り支えてくださいました。しかし自分はどうだったのか、そのことを彼はここで振り返らされたことでしょう。そしてその時に問われ残ったのが、自分の罪の問題でした。神の約束と恵みは先行している・・・しかし、自分の歩みはそれに達していないのではないか。

3. 山を前にして
 そして、彼は神の命じた山に向かいます。アブラハムにとって、この三日は、生きた心地のしなかった時間だったことでしょう。そして彼の目に映ったのは、はるかかなたに見えたモリヤの地でした。試練の、苦難の最中に置かれたアブラハムは、ここで一切、神に不平も不満も述べていません。彼の内にあったただ一つの確かなこと。それは、すべてのことに神の意志と神の御手は伸ばされているのだ、という確信です。これは安易に用いて口にするような言葉ではありません。しかし、真実に神に向き合い、また人生に向き合う時に、このアブラハムの確信の持つ力を私たちもまた経験することでしょう。

投稿者 mb-church : 2011年03月15日 14:54