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2011年02月06日
2011/1/2礼拝メッセージ
2011年1月2日礼拝のメッセージ要約です。
ローマ人への手紙4:16~20
「神からの希望」
1. アブラハムの信仰
アブラハムは信仰の父と呼ばれています。しかしそれはユダヤ人に限ったことではありません。「望み得ないときに、神に望みをおくもの」それがアブラハムの信仰です。私たちの目の前には、どうなるかわからない未来が広がっています。私たちは未来に不安や恐れをいだきます。しかし信仰はそれを超えるものです。旅立つ前、アブラハムには後を継ぐこどもが与えられていませんでした。そのときに彼は神のことばに聴き従いました。このときにアブラハムの信仰が単なる神に対する知識や願掛け以上の聖書の語る「信仰」になったのです。
2. パウロによる解説
パウロはアブラハムの信仰について記しています。アブラハムは弱さを覚えずに神の約束を信じ続けたのでしょうか。彼はその歩みの中で、何度も神に問い、願い、祈り続けました。また時に弱さの中で失敗をも犯しました。しかしパウロはアブラハムの歩みを完全なものであるかのように記しています。なぜなのでしょうか。3章22節に「イエス・キリストを信じる信仰による神の義」とあります。この言葉は「イエス・キリストの誠実さによる神の義」とも訳すことができます。それはイエスが不完全な私たちのかわりに地上の生涯を歩まれ、完全な人として神の前にささげられた誠実さのゆえに、私たちの罪は赦され、私たちの生涯が神に受け入れられたものとなるという意味です。つまり徹頭徹尾、信仰は神から与えられるものだということなのです。
3. アブラハムに与えられた信仰
アブラハムもまたその生涯においては失敗や弱さがありました。しかし、その生涯の中で、神との関係を深めていきます。20節にはこうあります。「彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことはせず」。この箇所は「彼は、神の約束において、不信仰により揺るがされず」と訳せます。また続く文章も「しかし、信仰によって強められ」と訳せます。アブラハムが自分で信仰を強めたのではありません。神に与えられた信仰によって、彼は強められていったのです。信仰は神が与えてくださるものです。私たちはただ神に信頼を置き続け、神との関係を失わずに歩み続けるものであり、希望を自分にではなく、神に置き続けるものたちなのです。
投稿者 mb-church : 2011年02月06日 15:05
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