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2010年11月14日
2010/10/31礼拝メッセージ
2010年10月31日礼拝のメッセージ要約です。
創世記17:15~27
「励ましと応答」
1. 信じるということ
「最初から最後まで信じ続けることができる」そう確信をもって言い切ることのできる人がいるでしょうか。私たちの側には「絶対」と言えるほど確かなものはありません。信仰は私たちが作り上げる熱心さではありません。信仰は神様が与えてくださる、それこそ賜物です。信頼関係を築き上げていくように、そこには時間がかかります。アブラハムは神から約束を頂きました。しかし、アブラハムがすぐに神様の言葉に信頼できたのか、といえばそんなことはありません。ここでアブラハムはひれ伏し、そして笑ったとあります。顔は伏せました。しかし、その顔は笑っていた、というわけです。敬虔な信仰者とはいえないようなアブラハムの姿です。
2. 信じきること
神は、アブラハムを通して「全能なる神を信じるとはいかなることか」を示そうとされました。彼を通して示されたことの一つは「神の約束を信じきること」についてです。彼の内側の思いを神が知らないわけはありません。ここでのアブラハムは決して不信仰というわけではありません。神を信じていないわけではない。しかし、信じきることのできない現実は確かにあります。私たちの前にも現実が立ちはだかります。信じていないわけではありません。しかし、神のことばを信じきることのできない私たち。そんなアブラハムに神はどのような態度をとられるのでしょうか。
3. 励ましと応答
すると神は続けて言葉をかけられます。約束の子「イサク」が与えられると。その名前の意味は「彼は笑う」というものでした。彼が信じ切れずに笑っていたことを神は知っておられました。しかし、神はその笑いを本当の笑みへと変えようとさらに語ってくださっています。私たちの生涯は、神のことばを聴き、励ましを受け続け、与えられた行程を走りぬいていくようなものです。ここにも神のことばを聴き続け、その励ましに奮い立って歩んでいく信仰者の姿があります。それ以上に私たちに迫るのは神のお姿です。神は、その言葉に従うと約束を交わされた人に、とことん伴走してくださる方なのです。そしてアブラハムは神に「割礼」を通して応答します。この割礼は神の民となるためのものではありません。神の民としてくださったことへの応答です。そしてその応答は、個人にとどまらず、一族へと広がっていくものでした。同じように神の祝福も周囲へと広がっていくものなのです。
投稿者 mb-church : 2010年11月14日 08:15
コメント
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