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2010年04月27日
2010/4/11礼拝メッセージ
2010年4月11日礼拝のメッセージ要約です。
創世記1:1
「すべてをはじめられた方」
1. はじめのことば
「初めに、神が天と地とを創造した。」まさにこれは天の声です。これは人類史上最も偉大な言葉の一つでしょう。聖書は、何の前触れもなく神がこの天と地を創造した、そう宣言します。すべてのはじめは神である。これは高らかな宣言文です。私たちが今ここに存在するのも、多くの出会いが与えられたのも、この世界の一つ一つが神によって始められたことなのです。これは驚くべき宣言と言えるでしょう。
2. 神のことば
聖書はそもそもなぜここにあるのでしょうか。なぜ数千年もの間、この文書が神のことばとして受け継がれてきたのでしょうか。それは、この書が語ろうとしていることが、人間にとって大いなる真理を物語っているからに他なりません。私たち人間の側からは、決して語ることも、聞くことも出来ない、神の側からの言葉、宣言の言葉として、この聖書が、私たちの目の前に置かれています。その聖書が、まず初めに私たちに語りかける言葉こそこの最初の言葉なのです。この世界が、すべて偶然でなく、またたわむれでもなく、神ご自身の思いがそこに込められ、また神の御手によって創られた世界であるという宣言。聖書私たちに教える神の第一の特徴は「創造主なる方」ということになります。
3. 人間という存在
神の創造の動機とはいったい何だったのでしょうか。神は、人間という存在を生み出すために、この世界を創造された、そういっても言い過ぎではありません。決してこれはおごりで言っているのではありません。人間の存在そのものが、この世界においてはユニークです。しかし、人間は決してすべての事始めをしたのではありません。それどころか創造の業の中でも後で生まれたのが私たちです。「あなた」という存在がいるこの世界を神は始められた、そう聖書は語ります。あなたがいる世界を始めてくださったのは、神ご自身です。もちろん罪という問題がこの後に語られ、世界の滅びが明らかにされます。しかし、まず聖書は「すべての創造主を知ること」から語り始めるのです。そしてこの方は、目に見えるものだけではなく、私たちの心も、また魂も、新しく作り変えてくださる方です。世界を創造した神の御手が、私たちの心にも触れてくださり、造り変えてくださるのです。
投稿者 mb-church : 18:18 | コメント (0) | トラックバック
2010年04月21日
2010/4/4礼拝メッセージ
2010年4月4日礼拝のメッセージ要約です。
使徒の働き17:22~34
「よみがえられた方」
1. アレオパゴスの説教
この説教は、現代と同じような状況が過去にもあったことを示す箇所です。多くの者は、パウロのこの説教を聞いて、その場を立ち去ったようです。しかし、その中の幾人かは、信仰へと導かれたことが記されています。そこではギリシャの神々がまつられ信仰の対象となっていました。それと同時にギリシャは哲学の都です。そこでパウロはこう切り出すのです。「この世界のすべてを形作った方がおられるのだ」と。そして人間の存在の意義をもパウロは語りました。なぜ人間はこの世界を感じ、また認識し、存在の意義を求めるのか。それは、創造主なる神を求めるためなのだ、そうパウロは語りました。
2. 存在の意義
存在の意義、これは哲学的な問いです。しかし、同時に神をどうしても意識せずにはおれない、神学的な問いでもあります。しかし、この問いに対して私たちは真正面から向きあおうとはしません。なぜなら私たちには完全に答えようがないからです。しかし、パウロはここで訴えかけます。神は、これまでそのような人間を見過ごしにされてきたが、今は違うと。今は、ある一人の人を通して、人間が歩むべき道を、神は指し示しているとパウロは教えました。この世界は、永遠ではありません。終わりの時が必ず来ます。一人一人、神の前にその存在の重さが計られるときがやってくるのです。
3. イエス・キリスト
神が送ったこの一人の人、イエス・キリストは、いったいどのようなお方だったのでしょうか。彼は、完全に神に信頼し、神の前に裏表がなく、神のみこころを求め、またみこころに従って生きた人でした。このキリストを通して、私たちは神の前に問われています。あなたは創造主なる神を心から愛しているのか。あなたはあなたの隣人を、心から愛しているのか。キリストは私たちに言われます。人はうわべを見るが、神はあなたの心を見ると。私たちの神の前の罪をイエスは背負われました。しかし、それで終わりではありませんでした。キリストはよみがえられます。死に渡されるいのちが神に受けいれられるときに、死からいのちへと必ず移される、そのことを神はキリストをよみがえらせることによって、明らかにしました。このイエス・キリストを信じるときに、やがて私たちもこの方と同じものと変えていただけるという望みが与えられます。復活の主には、苦しみや死の先にあるいのちの答えがあるのです。
投稿者 mb-church : 16:42 | コメント (0) | トラックバック
2010/3/28礼拝メッセージ
2010年3月28日礼拝のメッセージ要約です。
「聖徒たちへの祝福」
ピリピ4:18~23
1. 満ちあふれる
ピリピの教会はパウロに経済的な支援を送った教会です。彼ら自身も貧しい中、パウロを支えようとしました。パウロは「満ち溢れている」と書き送っています。それはパウロの心から感謝と賛辞の言葉でした。それは贈り物にこめられたピリピ教会の宣教への情熱のゆえでした。「宣教の業」とはいったいなんでしょうか。私たちを取り巻く状況は困難に見えるかもしれません。しかし、パウロたち初代の教会の状況を見ると、私たちは励まされます。なぜなら彼らの状況は、私たちの状況と限りなく近い面を持ち合わせているからです。彼らは現実の社会に何かをなす大きな力は持ってはいません。しかし、その教会には神のことばに聞く姿勢がありました。そして彼らが、キリストの姿にならい精一杯仕えていくその姿に、私たちは学ばなくてはならないでしょう。
2. 神を経験する
私たちが「神のすばらしさを経験する」時とはどのような時でしょうか。その時をまとめると三つあるのではないでしょうか。一つは何気ない日常の中に、神が与えてくださった多くの恵みを受け取る時。二つ目には、私たちには乗り越えることができない、そんな壁が目の間に立ちふさがった時。そして三つ目は、私たちが決断して一歩前に進み出る時。さらにこの身を、また私たちのもてるものを神に差し出す時。その時にこそ、実は深く私たちは神を経験します。パウロも、ピリピの教会も、このチャレンジの先にある神のすばらしさを経験した者たちと言ってもいいでしょう。その人々に神は、キリストにある栄光の富をもって応えてくださり、私たちの必要を満たしてくださるのです。
3. キリストにある聖徒たちへ
最後にパウロは聖徒たちと呼びかけ挨拶を送ります。そこには、すでに教会に加えられた者も、後から加わった者もいます。まったく会ったこともない、またもしかするとこれからも会うことはないローマのクリスチャンたちの姿がここにあります。教会の交わりの豊かさを感じさせる一文です。それは私たちの思いや力、そして時間をも超えた交わりです。この交わりに私たちが加えられていることを心から感謝し、ともに苦難を乗り越え、神のすばらしさをますます味あわせていただきましょう