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2010年01月27日
2010/1/17礼拝メッセージ
2010年1月17日礼拝のメッセージ要約です。
「ゴールを目指して」
ピリピ3:12~16
1. 求道者
教会における「求道」の意味は「真理を求める」とういことにあります。もっと厳密に言えば、求道者とは「真理を求めるようにと導かれている人」のことです。パウロも自分は神によって導かれている、そうまっすぐに受け止めた人でした。確かにパウロは、神にある正しさを求め、追い続けています。しかし、それは自分からスタートしたことではなく、イエス・キリストが私を捕らえてくださったからだと告白しています。ここでの問題は、パウロが何を求め続けていたのか、ということです。
2. 何を求めているのか
彼が求めているのは「死者からの復活」です。この言葉は「復活のキリスト」を示す言葉です。パウロが求めていたものは、復活のキリストと同じようになることでした。この言葉は人格的、肉体的な完成を示す言葉です。神の前に真にへりくだった愛、人ではなく神にある正しさこそ、ここでパウロが追い求めているものと言えるでしょう。とはいっても、そこまでのことを私は求めていない、そう思われるかもしれません。私たちの視点は、すぐに天ではなく、地に向かうものだからです。パウロはそのことをよく知っていました。13節にある「うしろのもの」とは、以前の価値観のことです。私たちは「うしろのもの」に、いつも引きずられてしまいます。うしろのものとは、キリスト抜きの世界であり、目に見えるもの、人の基準で生きることです。実のところ、真の問題は、うしろのものにではなく、前にあるものがはっきりと見えていないことにあります。
3. 前のもの
パウロは信仰の歩みを競技にたとえています。Ⅰコリント9:24~25でも同様のたとえが出てきます。パウロは競技者の姿勢と、信仰者の姿勢とを重ねあわせています。競技者はゴールがない競技を走るわけはありません。ゴールを、そして栄冠を目指して走ります。パウロは、勝ち負けの話ではなく、競技者として純粋にゴールに向かうことや、その途上にあって奮闘し続ける競技者と、信仰者とを重ねあわせているのです。それぞれの走り方は違います。それぞれに時に苦しく、また倒れそうになりながらも、走りぬこうとしています。この先に見ている天におけるゴールは、すでにキリストによって約束されているものです。私たちは、今そのゴールを見据えているでしょうか。すべては復活のキリストの栄冠へと招きいれるためのものであるということを受け取らせていただきましょう。
投稿者 mb-church : 2010年01月27日 09:57
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