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2009年12月15日

2009/11/29礼拝メッセージ

2009年11月29日礼拝のメッセージ要約です。
「キリスト-ほふられた小羊-」 
レビ記1:1~4
ペテロの手紙第一1:18~20

1. 私たちの存在
 聖書は世の初めを記しています。私たちが神によって創造されたということ、そして私たちがその直後に、創造主にそむき、自分を神として人間が勝手に歩みをすすめているということが明らかにされています。つまり人間は、その存在の出発点を失い、本当に帰るべき故郷(ふるさと)を失ってしまった状態なのです。聖書の根本的なテーマは、私たちがこの生涯を通して、まことの神と再び出会い、神のもとへと帰る、本当の故郷へとたどり着くということにあります。

2. 神のかたちと罪
 神は人間を「神のかたち」に創造しました(創世記1:27)。「かたち」とは、私たちの人格、性質、こころを指しています。神はなぜ人間を神のかたちとして創造されたのでしょうか。なぜなら、神はご自分の栄光を私たちに表し、すばらしい世界をともに分かち合おうとされたからです。しかし、私たちは神のものであることを忘れ、神のみこころに反し、自己中心へと陥ってしまいました。これこそが神に対する罪責なのです。私たちは神から離反してしまったがゆえに、苦痛と病と死の恐怖に苛むようになってしまったと聖書は語ります。私たちの求めは、神でなくては答えることのできないものです。しかし、私たちは、神を求めれば求めるほど、神から遠ざかる現実をも見出すことになります。なぜなら、私たちの中には、神と相反する「罪」があるからです。私たちの思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなってしまったのです(ローマ1:20,21)。神と私たちとの間には深い断絶があるのです。

3. 小羊イエス
 旧約聖書には「いけにえ」の規定が記されています。ここに表されたのは、人と人との取り決めではありません。神の前に人が償うべき内容です。それは「いのち」そのものです。神と正しい関係を持つために、動物のいのちをささげることが指示されています。しかし、それは最良のいけにえであっても不完全なものです。私たち自身とはイコールではないからです。それゆえに神は、イエスを私たちに送ってくださいました。私たち以上の犠牲としてイエスが私たちに送られたのです。キリストは十字架に架けられ殺されます。それは、まさにほふられたいけにえそのものです。イエスを信じるということは、この方が私の身代わりに犠牲になってくださったということを信じることです。そのときに、私たちは、神に完全にゆるされ、神との新しい関係に入ることができるのです。

投稿者 mb-church : 2009年12月15日 16:48

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