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2009年12月15日

2009/11/22礼拝メッセージ

2009年11月22日礼拝のメッセージ要約です。
「すべてキリストのゆえに」
ピリピ3:4~9

1. 終末
 「はじめがあり、終わりがある」それが聖書の語る世界観です。私たちの世界は永遠ではありません。この事実から私たちは目をそらしてはなりません。大きな視野に立つならば、この世界のはじまりと終わりがあるということになります。もっと小さな範囲では、私たち自身のいのちのはじまりと終わりがあります。人間という存在は、はじまりと終わりを意識して生きる存在です。終末が問われる時に、私たちは自分という存在が量られることにもなります。今日の箇所で、パウロは自分自身のことを証言しています。ここで彼が言っていることを短く言い表すならばこうなります。自分はユダヤ人であれば非の打ち所のない生まれと実績である。しかし、彼はここで自らの存在を決めるのは、そのようなものではないと言います。終わりの時に、ものを言うのはこれらのものではないのです。

2. 存在の救い
 今日の箇所が私たちに問いかけるのは、あなたの存在は何によって救われるのか、あなたは終わりの時に何によってしっかりと立つことができるのか、ということです。パウロはここで、昔の自分と、今の自分を比べています。昔の自分は、自らの生まれや能力、実績、評価、それによって自分は立っていたと証言しています。しかし、それらのことが自分を救ってくれるわけではないことに気がつくのです。私たちがいのちを問われるとき、つまり終末を迎えるとき、それは神の前に立つときであると聖書は言います。パウロはその存在の救いの鍵が「キリスト・イエス」にあると指し示しています。

3. 神の義
 終わりのときに問われるのは、神の前の義であると聖書は語ります。神の前に正しいものとされる、それが義です。それは神との関係が正しいものとなるという意味です。神との関係が正しくなければ、私たちは自分の存在の意味を失い、またはじまりも終わりも見極めることができなくなります。聖書において、神の義と救いはセットとして語られます。神からの救い、また真の希望は、神との関係が正しくなることからもたらされる、それが私たちに与えられた道筋です。どうすれば、神と正しい関係を持つことができるのでしょうか。イエス・キリストはこのように語りました。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネ14:6)」。このイエス・キリストを知り、そしていのちを得させていただきましょう。

投稿者 mb-church : 2009年12月15日 16:46

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