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2009年12月02日

2009/11/15礼拝メッセージ

2009年11月15日礼拝のメッセージ要約です。
「主にあって喜べ!」
ピリピ3:1~3

1. 喜べという命令
 「喜べ」とここで命じられています。普通「喜ぶ」ことは命じられてできることではありません。しかし、この命令は、私たちを立ち上がらせ、前進させるための言葉です。この手紙は、ピリピ教会の苦難の時、また同時にパウロの苦難の時に書き記されたものです。「私の兄弟たち。主にあって喜びなさい」これはパウロの命令であると同時に、パウロ自身もまた神様から語られていることでもあります。このような状況に置かれている、だからこそ「主にあって喜びなさい」と。

2. 主にあって
 この言葉の中で重要なのは「主にあって」という言葉です。この言葉が意味しているのは、この喜びがむなしく終わる一時的なものではないということです。主イエスにあって喜ぶということ。この短い言葉であらわされていることこそ、聖書で語られている私たちに与えられる約束の一つです。パウロが命じる「喜び」は、自分で言い聞かせて喜べというものでは決してありません。主イエスにあって私たちは喜ぶことができる。いえ、今信じる者には喜びがすでに与えられている、そう私たちに語りかけている言葉なのです。パウロはこの喜びについて「あなたがたの安全のためにもなること」であると言っています。主にあって喜ぶときに、私たちは堅く立つことができる、そうパウロは私たちに教えています。

3. 真の喜びを得る
 キリストにある信仰とはご利益ではありません。この信仰は真の喜びを得させるものです。パウロはここで誤った教えへの警告を記しています。本当の喜び、キリストにある信仰を失わせるものに気をつけるようにとパウロは言います。それは、正しい行いや目に見える正しさによって救いを得ようとする「律法主義的」な、また「ご利益主義的」なあり方でした。パウロは自らのことをこう言い表しています。「神の御霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、人間的なものを頼みにしない私たちのほうこそ、割礼の者なのです。」真の喜びを得、主にあって喜びを持つものとは、どのような人でしょうか。それは、神の御霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、人間的なものを頼みにしない者です。なぜなら、神が私たちに与える救いは、私たちの側に根拠はなく、ただ神からのみ与えられるものだからです。だからこそ、この救いと喜びは失われることがないのです。

投稿者 mb-church : 2009年12月02日 12:19

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