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2009年11月11日
2009/10/25礼拝メッセージ
2009年10月25日礼拝のメッセージ要約です。
「つぶやかずに、うたがわずに」
ピリピ2:14~16
1. つぶやき
私たちはどんな時につぶやき、神を疑うのでしょうか?私たちは、願いどおりに事が運び、状況が好転した時には神に感謝できます。その逆の時にはつぶやくことになるでしょう。「つぶやく民」とは、まさにエジプトから脱出したイスラエルの民を思い出す言葉です。奴隷から救いだされ自由の民となったイスラエル。しかし彼らはその途上でつぶやきます。「救われた」という事実を忘れ、すぐに目の前の困難な状況に目を奪われてしまうのです。これは私たち自身の姿でもあるでしょう。しかし、パウロはここでこう言うのです。「つぶやかず、疑わずに行いなさい。」ピリピの教会もまた、思わしくない状況を前につぶやいていました。この言葉は実にはっとさせる言葉です。今つぶやいている只中にいる自分に気づかせることばです。みことばは、私たちに「つぶやき続けること」に対して警告を与えています。
2. 神の視野
「それは、曲がった邪悪な世代のただ中にあって、あなたがたが非難されるところのない純真な者となり、傷のない神の子どもとなるためです。あなたがたは彼らの間で、いのちの言葉をしっかり握り、世の光として輝いています。」これは神にあるゴールを示す言葉です。私たちの状況や社会は、決して楽なものではありません。また困難が伴うものでもあるでしょう。そのような中にあって、私たちにはゴールが指し示されています。それは「神の国」の到来です。私たちはキリストに贖われ、すでに神の国の国籍が与えられています。だからこそ、私たちはまだ神の国が完全には完成していない闇の世の中で、ゴールに向かって歩みを進めるのです。
3. 世の光である私たち
私たちはこの世の中で、いのちの言葉をしっかり握り、世の光として輝いていると言われています。これは未来のことではなく、今世の光として輝いているという言葉です。私たちは福音のことばを聴き、救いを得た今、もう世の光として輝いているのです。なぜ、私たちは「純真な者」「神の子ども」となることへと歩みを進めていくのでしょうか。到底これらのことは、努力や思いだけで到達できるものではありません。まさに十字架の恵みによって、これらのことは達成されるのです。これは神の約束であり、希望の言葉です。ここに私たちが目を留め続けるときに、つぶやき続ける者ではなく、希望を告白する者へと変えられていくのです。
投稿者 mb-church : 2009年11月11日 15:01
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