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2009年10月21日
2009/10/4礼拝メッセージ
2009年10月4日礼拝のメッセージ要約です。
ピリピ2:5~11
「キリスト讃歌Ⅰ」
1. 私たちの課題
福音にふさわしいあり方。皆さんにとってそれはどのような生き方を指しているでしょうか。私たちが取り組む課題とは、私たちの生き方がキリストの福音にふさわしいものとなっているだろうか、という問いにあります。そしてそれは私たちの「動機」を問うものでもあります。あなたがキリストを救い主として信じたときに、自分を中心とする罪から解放され、キリストにあるものとなっている、その宣言こそが福音のことばです。しかし、私たちはその福音の中心からずれてしまう者たちです。ですからパウロは、キリストの姿をあなたがたのうちにはっきりと描くようにと勧めています。
2. キリスト讃歌
キリスト・イエスにあるものこそ、このような考えを持つべきであるとパウロは言います。キリストを中心とするときに、私たちに自分の力や知恵では得ることのできないことが与えられます。イエス・キリストにあるものたちが、常に思うべき私たちの主の姿がここで歌われています。それが「キリスト讃歌」です。この詩には明らかな対比があります。その対比は「キリストは神の御姿である方なのに、仕える者の姿をとった」ということです。神と等しい方が、そのことに固執されないで、つまりそれを捨てられました。ここにある賛美の言葉の一つは、キリストがご自分の立場を捨てられたということです。さらに自分を無にし、人間と同じところに降られたということ。十字架の死にまでも降っていたその姿。この詩を讃美するときに、彼の心は震えたことでしょう。
3. キリストの謙遜
なぜ神である方が、私たちのところに来られたのでしょうか。キリストの姿に現されたのは、神の愛のもっとも具体的なあらわれでした。キリストがその力を一度でも自分のために行使したことがあったでしょうか。すべては父なる神のため、そして私たちのためでした。このことはいったい誰のためであったのか。これが重要かつ重大なポイントです。ただこれを、キリストの高潔な生涯であるとしては意味がありません。それはまさに「この私」のためなのです。私たちがイエス・キリストを仰ぎ見るときに見出すのは、神は私のために大いなる犠牲を払われる方であるということです。つまりそれこそが神の愛なのです。私たちのいのちの原動力はここに見出されるのです。
投稿者 mb-church : 2009年10月21日 10:27
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