« 2009/8/23礼拝メッセージ | メインページへ | 2009/9/13礼拝メッセージ »
2009年09月29日
2009/9/6礼拝メッセージ
2009年9月6日礼拝のメッセージ要約です。
ピリピ1:18~20
「どんなときであっても」
1. いかなる時であっても
パウロが、どのような状況においても喜びを得ていた、その秘訣を私たちはともにこの手紙から学んでいます。パウロの喜びの第一番目の理由は、自分がたとい牢獄につながれていたとしても、キリストが宣べ伝えられている、そこに目を留めているからだ、と彼は言いました。それはいつでも、どこにおいても、神の大いなる御手を認めていた姿です。しかし、このパウロのことばを聴いて、おそらくこう言う人がいたことでしょう。「パウロは強がりをいっているに過ぎない。」
2. 喜びの源泉
パウロは、そのような人がいることをも知っていました。パウロはここで、さらに自らの喜びがどこから来るのかを明らかにしていきます。「というわけは、あなたがたの祈りとイエス・キリストの御霊の助けによって、このことが私の救いとなることを私は知っているからです。」「このこと」とは何を指しているのでしょうか。それはパウロの身に起こったことや困難です。それが私の救いとなる・・・?ある人は「解放される」ということだとする人もいます。問題はパウロにとっての救いとは何か?ということになります。根本的なことが問われる言葉です。皆さんが問われたら何と答えるでしょうか?現実的な問題が解決すること、そう思うことが悪いのではありません。しかし、ここでパウロは目の前にある困難から救われることだけを「救い」と言っているのではありません。
3. パウロの救い
パウロはここでこのように語ります。「生きるにも死ぬにも」つまりどんなときでも、どんな状態にあったとしても、私の身によってキリストがあがめられること、これこそが彼の願いなのです。キリストがあがめられる時、それはいつでしょうか?それは彼の行った奇跡ゆえではありません。それはキリストの十字架の犠牲のゆえです。十字架の死と復活、それは私たちの根源的な罪の赦しと、私たちが抱えた死という絶望をひっくり返す逆転する力です。どんなに目の前に困難な出来事が起きようとも、それがたとえ死ということであったとしても、キリストがその死に打ち勝ったように、やがては完全な救いへと導かれる・・・だからこそ、パウロは、ここでこう語るのです。「このことが私の救いとなることを私は知っている」と。そして、この信仰は、人の努力や知恵によって得られるのではありません。私たちは私たちのうちに働く聖霊の助けによって、キリストにある希望が与えられ続けていくのです。
投稿者 mb-church : 2009年09月29日 14:07
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.mb-church.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/320