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2009年09月29日

2009/9/13礼拝メッセージ

2009年9月13日礼拝のメッセージ要約です。
ピリピ1:20~26
「生きるにも死ぬにも」

1. 「私にとって生きることはキリスト、死ぬことも益です。」
 パウロは、ここで生きることと死ぬことを天秤にかけているかのようです。この手紙を読み進めてくると、パウロのもどかしさも同時に伝わってきます。自由にならない状況や耳に入ってくる教会を取り巻く不穏な情報がありました。このようなすっきりとしない状況がパウロを取り巻いていました。なぜパウロはこの手紙を書いたのでしょうか。彼の執筆の動機は、教会が誤った立ち位置ではなく、キリストにある立つべき場所にしっかりと立って欲しいという思いでした。

2. 「死ぬことも益である」
 パウロはここで自らのいのちは「キリスト」であると言っています。そして、さらに彼はこのように言い表します。「だから死ぬことも益であると。」ここでパウロが触れている「死」は、たとえもし死ぬことがこの先にあったとしても、ということです。パウロはこうも言います。「私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。」片方では、いのちが続くのであれば、それはそれで豊かな実を結ぶことになる・・・しかし、もう片方の死という状況であったとしても、それはむしろ自分にとっては、世を去ってキリストとともにいることになる、ゆえにそれはさらにすばらしいことである・・・つまりパウロは「どちらでも大丈夫なんだ」と言っているのです。私たちの最も大事なアイデンティティはすでに神とともにあるとパウロは捉えています。神から喜びと平安が与えられ続ける、それがクリスチャンに与えられた特権の一つなのです。

3. 「今を生きる」
 生きること、死ぬこと、そのどちらでも大丈夫なのだと語った後に、パウロが言うのは、だからこそ、今与えられているいのちを精一杯生きる、ということです。さらに付け加えるとするならば、誰のために生きるのか、ということです。ここで、パウロが求めているのは自分自身の利益ではありません。彼が求めているのは、教会にとってよいこととは何かでした。ただ自らの利益のために、彼は生きていたのではありません。ただキリストのためであり、その具体的なあらわれが「あなたがたのため」でした。「生きるにも死ぬにも私の身によって、キリストがあがめられること」に彼は立っていたのです。この言葉に私たちは聞き続け、それぞれの生き方の立ち位置を、確認し、修正してまいりましょう。

投稿者 mb-church : 2009年09月29日 14:10

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