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2009年08月09日

2009/7/26礼拝メッセージ

2009年7月26日礼拝のメッセージ要約です。
ローマ15:22~33
「上向きの信仰」

1. 教会の中にある緊張関係
 パウロは異邦人宣教にその身を投じました。当時の教会は難しい問題を抱えていました。それはエルサレム教会を中心としたユダヤ主義に立つクリスチャンと、小アジアや地中海沿岸を中心とした異邦人社会に誕生した教会のクリスチャンたちとの間にあった緊張関係でした。その緊張関係の最前線にいたのがパウロでした。パウロは、全世界の人々が神の民となり、ともに教会において神を礼拝するということこそ、神が望まれてきたことであると確信していました。

2. エルサレムへ上ること
 そのような緊張がある中、パウロはエルサレムへと上ろうとします。周囲の人々はパウロを止めました。なぜならパウロがエルサレムに上れば、ユダヤ主義者との間のトラブルに巻き込まれることは明らかであったからです。しかし、パウロは自分の身がたとえ危険にさらされようとも、教会の一致のためにエルサレムへと上っていく決断をしました。さらにパウロはその先のことを見ています。もしパウロがエルサレム教会において一致を見ることができたならば、今度は新たな宣教地へと赴く計画を持っているというのです。パウロの周囲の人々は今の状況に対して悲観的に見ていました。しかし、パウロはそのようには考えていません。ここに「ささげる人」パウロの信仰のあり方が示されています。「ささげること」に関して、神はそのことを必ず成し遂げてくださる、神が悪いようには決してなさらない、その確信がパウロにはあるのです。

3. 祈りの要請
 そして、パウロはローマのクリスチャンたちに祈りを要請します。先の見えない中で、ローマの教会に「ともに祈ってください」と願います。パウロは自らの働きは、すべて教会の働きなのだと考えていました。それぞれの生き方を通して、仕事を通して、人に仕え、また社会に仕え、教会に仕え、何よりも神に仕える・・・そのことすべてが教会の働きなのです。それは一人ではなすことができないものです。だからパウロはここで教会に祈りを要請するのです。しかし、この祈りの課題は、その後すべてが聞かれたわけではありませんでした。パウロはローマに到着します。しかし囚人としてでした。祈りがすべてが聞かれたわけではありません。しかし、これはすべてを「良きこと」へと神が導いてくださった結果なのです。私たちの思いをはるかに超える神のみわざがなされるという確信。これこそ信仰者だけが得ることのできるものなのです。

投稿者 mb-church : 2009年08月09日 18:00

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