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2009年08月09日
2009/7/12礼拝メッセージ
2009年7月12日礼拝のメッセージ要約です。
ローマ15:7~13
「キリストにある望みの神」
1. 多様性
「互いに受け入れること」これは私たちにとって、とてもハードルの高いことです。初代教会の課題は、現在の私たちの課題でもあります。最初は異邦人が救われるということに対して、ユダヤ人は不安と同時に喜びを持っていたことでしょう。世界中の人々が、真の神の前にひれふす時が来たというすばらしい知らせに大きな喜びがあったことでしょう。しかし、異邦人が教会に増えてくると除々に変化が起こります。最初は「偶像に備えて汚れた物は避けるように」と言い伝えられていましたが、その取り決めも現実的ではなくなっていきました。教会はその現実に対し、悩み、祈り、そして聖書に答えを見出そうとしたのです。その答えを的確に導いた人がパウロでした。彼の結論は「偶像に捧げられた肉は食べてもよい」というものでした。しかし、問題は「納得」ではなく、感情的なレベルにありました。
2. キリストにある教会
聖書によって正しい神学は第一に議論されるべきことです。パウロもそのことを踏まえた上で話を進めています。しかし、感情的な衝突は非常に根深いものです。パウロは繰り返しキリストの姿を指し示します。神のひとり子であるキリストが罪ある私たちを受け入れてくださったその姿。神は本来受け入れることができない私たちをキリストのゆえに受け入れてくださっています。「キリストは、神の真理を現すために、割礼のある者のしもべとなられました。」割礼のある者とはユダヤ人のことです。キリストはユダヤ人としてこられ、そして十字架の死にまで従われました。それはユダヤ人だけのためではありません。それは異邦人も含めたすべての人のためです。キリストは、ユダヤ人のみならず、すべての人のために、ご自身をささげられました。この真理に立たない限り、教会の中の不一致や、感情的な衝突はおさめることができません。
3. 望みの神
教会は「キリスト中心」です。キリストこそが基準であり、その中心です。私たちはキリストにあるときに、たとい痛みや苦しみがあろうとも、それが必ず希望と喜びへと変えられていくことを、キリストご自身の姿から教えられています。キリストにあるときに、私たちの神は確かに「望みの神」と信じることができるお方なのです。私たちも今キリストご自身の姿を、聖霊によって私たちの心にはっきりと映し出させていただきましょう。
投稿者 mb-church : 2009年08月09日 17:45
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