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2009年06月13日
2009/5/24礼拝メッセージ
2009年5月24日礼拝のメッセージ要約です。
ローマ13:5~10
「神の与えた良心」
1. 神の与えた良心
私たちは神によって良きことを教えられます。私たちは神のことばによって、良きこととは何かを判断することができます。神を求め、神の良きことを求めるその思いを「良心」と言っていいでしょう。聖書における「良心」は、その人の中でも、とても価値の高いものであり、尊いものとして扱われています。パウロは非常に高い意識をもって「良心」という言葉を用いています。
2. 神の愛と聖さ
聖書において神の愛と聖さはとても大事な概念です。私たちが現実の社会においても、人間の持つすばらしい側面や高潔な生き方に触れるときに、神ご自身のすばらしさを知ることにもなります。教会では取り繕い、偽善的な態度をとる必要はありません。しかし、その逆に、自分たちがおろかで、罪深いことを強調し、いつまでも社会的にも未発達でいることも、聖書で語られているあり方では決してないでしょう。むしろ、神を信じた者たちは、神の愛や聖さを願い、また自らの生き方も日々神の前に悔い改めることが勧められています。このような良きことへとまっすぐに向かうときに、私たち自身が内面から整えられていきます。
3. むしろ愛し合うということ
パウロは言います。「誰に対しても、何の借りもあってはいけません。」そして続けてこう付け加えます。「ただし、互いに愛し合うことについては別です。」まるで借りを返すことと、愛し合うこととが同じようなこととして扱われています。互いに愛し合うということに関しては制限はいらない、ということになるでしょうか。しかし、ここで注意しなくてはならないのは「愛するだけでよい」と言ったのではないということです。神のみおしえ、律法は、愛するということによって動機付けられ、行われ、さらに完成すると語っているのであって、ただ愛するということを感情的に強調しているわけではありません。もし人間の持つ力だけを見ているならば、この言葉は何の実体も持たないものになることでしょう。しかし、パウロがここで見ているのは教会です。主イエスが愛を示され、愛を注がれた教会なのです。パウロはここで社会的な正しさを強調しています。神の愛がそうであるように、愛はただ感情的な問題では終わりません。私たちは、まず神との正しい関係に立ち、そして互いに愛し合う人との正しい関係へと進んでいくのです。
投稿者 mb-church : 2009年06月13日 13:15
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