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2009年05月13日
2009/4/19礼拝メッセージ
2009年4月19日の礼拝メッセージの要約です。
ローマ人への手紙12:3~8
「信仰という基準」
1. 私たちのからだをささげるということ
私たちのからだを,神に受け入れられる,聖い,生きた供え物としてささげなさい,これこそ真の礼拝であると聖書は私たちに語ります(ローマ12:1,2)。「からだ」という言葉には,私たちの「すべて」という意味が込められています。「私たち自身」と言い換えてもいいでしょう。あなたは救い主イエスを信じており,あなたの罪をすでに神は赦している,その一人一人が,神に向かってどのように生きるのかということが12章以降に記されています。これは単なる命令ではありません。それは,私たちのあり方,考え方,物事の見方に触れる内容なのです。「ささげる」というのはその人の生き方なのです。
2. 慎み深い考えを持つということ
パウロは教会の一人一人に語ります。「だれでも,思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや,むしろ,神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて,慎み深い考え方をしなさい。」ここで言われているのは「あなたが何者であるかをわきまえなさい」ということです。パウロは「信仰の量りに応じて」と言います。この言葉は「信仰という基準」であり,神が私たちに等しく分け与えてくださった信仰という規準に応じて,節度のある考えを持つということです。信仰という基準とは,まさに「キリストにある基準」に応じて,私たちが考えていくということを示しています。パウロがこの言葉を記した背景を考えると,思うべき限度を越えて思い上がる人間の時代を超えたおろかな姿が見えてくるようです。
3. 互いに器官であるということ
パウロは教会にいる一人一人の姿を思いつつ語ります。教会は一つのからだであり,一人一人はその異なる器官であると言うのです。どれもが同じ働きはしないように,私たちもそれぞれに働きが与えられています。どれが重要で,どれかが不必要であるとは言いません。一人一人にはキリストの信仰がすでに等しく与えられているのです。「賜物」という言葉も一つの真理を伝えています。それは,あなたに与えられた能力も,意志も,機会も,それはすべて神があなたに与えたものであるということです。私たちは,自分が持っているものをどのように受け止め,扱っているでしょうか。何か特別な能力があるからささげるのではありません。すでに私たちには神の恵みが注がれ,それぞれに違う賜物が与えられています。私たちは自らをささげる生き方へと招かれているのです。
[考えるために]
私たちは,自分に与えられているものをどのように受け止め,扱っているでしょうか。
投稿者 mb-church : 2009年05月13日 13:21
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