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2009年04月22日

2009/4/5礼拝メッセージ

2009年4月5日の礼拝メッセージの要約です。
ローマ12:1,2
「神のみおもいにたって」

1. 義とされたということ
 12章は「そういうわけですから」という言葉ではじまります。11章までのことを踏まえてパウロは語ろうとしています。それをまとめると「イエス・キリストの十字架と,イエスを救い主と信じる信仰によって,あなたの罪は赦され,義とされた」となるでしょうか。しかし,「義とされた」ということが私たちにはよく分かりません。罪ある人間にとって「義とされた」ということは分かりづらいのです。その原因は,私たちの「神」理解の乏しさから来ているのでしょう。神理解が深まれば深まるほど,私たちが義とされた,という意味の重大さが明らかになってきます。その意味が分かると,12章1,2節の持つ意味が,豊かに私たちに迫ってくるようになるのです。

2. 強い勧め
 パウロは神のあわれみのゆえに強く勧めます。今,あなたがキリストを信じて生きているのは,偶然ではなく,ただ神のあわれみによる・・・だからこそ,パウロは,私たちにこのように強く勧めます。「あなたがたのからだを,生ける,聖なる,神の喜ばれる供え物としてささげなさい。これがあなたがたの真の礼拝です。」「からだ」は単なる肉体のことをさしていません。私たちの「すべて」という意味です。なぜ,私たちが義とされたのでしょうか。それは,ただ単に私たち自身が救われるためだけではありません。それだけではなく,教会が神の栄光をあらわすものとなるために,あなたを救われたのです。

3. ささげなさい
 問題は,神にささげるということが,具体的に何であるのかということでしょう。それを考える前に2節に目を向けなくてはなりません。「この時代と同じかたちにさせられてはいけません。そうではなく,あなたの思いを新たにし,形作りなおされることによって,何が神のみこころであり,よきことであり,神に喜ばれることであり,完全なことであるのかを,あなたが知るようになります。」私たちをささげるというのは,私たちを犠牲にするという意味ではありません。そうではなく,私たち自身が,根底から作り直され,神のみ思い,聖さ,完全さ,それを知るようになり,ついにはそれを喜んで行うようになるということです。ささげるということ,それは私たちが神のみこころを知って,生きるということに他なりません。そのために,私たちはまず,神を私たちの中心にお迎えする必要があります。そして,神ご自身に私たちを作り変えていただくのです。

[考えるために]
 神に私たちは何をささげるのでしょうか。

投稿者 mb-church : 2009年04月22日 19:24

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