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2009年04月10日
2009/3/22礼拝メッセージ
2009年3月22日の礼拝メッセージの要約です。
ルカの福音書24:33~43
「復活の希望」
1. 「死」というテーマ
「死」は私たちの大きな関心事でもあります。人間は死と向き合う存在です。みことばが私たちに与えるものは、その日の力だけではなく、全生涯を作り変え、私たちのいのちや死に対する答えをも与えるものです。この箇所で、聖書は私たちにイエスはよみがえられたということを宣言しています。聖書が語るのは、死に打ち勝った復活のキリストの確かな存在です。このキリストを信じるものは、復活のいのちが与えられていると聖書は私たちに約束しています(ローマ6:4~6)。
2. 復活のキリスト
復活のキリストが示すのは、罪の奴隷ではない、完全に救いが完成した人間の姿です。二人の弟子はイエスと出会った後に、エルサレムの弟子たちのもとへと戻りました。そこで弟子たちと自分たちの経験を分かち合いました。ここで驚くべきことが起こります。イエスご自身が彼らの真ん中に立たれたのです。彼らは驚き恐れて、霊を見ているのだと思います。彼らは、まだイエスが復活したということの意味も、またそのことが表す希望についても、まだ到底考えは及んでいませんでした。その彼らにイエスはご自身が実体であることを示されたのです。
3. 復活のいのち
さらに信じられずにいる彼らにイエスは食事をする姿を示されました。無事に死からいのちへと生還したということを示されたのです。キリスト教において「復活」は、信仰の中心に据えられるべきことです。それは、「復活」こそ私たちに与えられた希望のリアリティを表すものだからです。キリストが、人間の抱えた罪だけではなく、罪によって私たち人間が背負ってしまったものすべてに対して救いをもたらしたということを、復活は示しています。死や滅び、別離、悲しみ、痛み、差別・・・背負ったものは数限りなくあります。私たちは、気がつかないうちに、人や世界を傷つけ、またすぐに自己中心的に生きる存在であり、いつでも死と隣り合わせの存在です。しかし、イエスを復活の救い主であると信じるときに、私たちもまたキリストの復活と同じいのちが与えられるのです。この復活のいのちを得て歩むことこそ、私たちの生きるべき道なのです。
[考えるために]
キリストの復活は私たちに何をもたらしたのでしょうか。
投稿者 mb-church : 2009年04月10日 14:47