« 2009/2/1礼拝メッセージ | メインページへ | 2009/2/15礼拝メッセージ »
2009年03月07日
2009/2/8礼拝メッセージ
2009年2月8日の礼拝メッセージの要約です。
ルカの福音書23:32~38
「自己矛盾にある私たち」
1. 十字架刑
イエスは十字架にかけられました。通常,人々は十字架の苦しみを目の当たりにして罪の重さを見ます。このとき,イエスを真ん中にして,その両隣に二人の犯罪人がつくことになりました。十字架上で,イエスは七つの言葉を語ったと聖書は記述しています。その一つは「父よ。彼らをお赦しください。彼らは,何をしているのか自分でわからないのです」この祈りの言葉でした。「彼ら」とは誰のことなのでしょうか。
2. 詩篇22篇
この時の出来事は詩篇22篇を思い起こさせるものでした。この詩篇は「義人の苦しみ」が題材となっています。神を信じる者が受ける不当な苦しみ,そこから,神は救ってくださるという内容です。イエスもまたこの詩篇と同じ気持ちだったのでしょうか。そうではありませんでした。イエスはこう祈ったのです。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは,何をしているのか自分でわからないのです。」この言葉は,神の子として,神と人との仲介者として,祈られたとりなしの祈りです。
3. 自己矛盾を抱えた人々
何をしているのかわからない人々。正しい者,神の子を十字架にかける人々。しかし,それだけではありません。私たちは神にあって正しいことを求める人にもなりえるし,また,人を傷つけ,神のみこころを損なう罪人にもなりえてしまう者たちです。パウロもローマ7章でこう言い表しています。「私には,自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく,自分が憎むことを行っているからです。」私たちの存在は,まさに善と悪のどちらをも抱え込んでいるのです。イエスに対しても,救って欲しいと願う一方で,自分の思いにイエスが沿わないのであれば,イエスなどいらないという思いを持ってしまうのです。
4. 聞き続ける信仰
私たちはどうしたら,この自己矛盾の状態から脱することができるのでしょうか。どうしたら,神に喜ばれる歩みをすることができるのでしょうか。どうしたら罪の支配から自由になることができるのでしょうか。その答えこそ十字架にあるのです。私たちはその十字架にあらわされた神のあわれみと,神の赦しのことばを聴き続ける必要があるのです。
[考えるために]
私たちの抱えた矛盾から,どのようにしたら脱することができるでしょうか。
投稿者 mb-church : 2009年03月07日 17:56
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.mb-church.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/287