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2009年03月07日
2009/2/1礼拝メッセージ
2009年2月1日の礼拝メッセージの要約です。
ルカの福音書23:26~32
「嘆くべきこと」
1. 嘆き悲しむ女たち
今日の箇所は,ルカだけが記している内容です。この箇所を読むとあることに気がつきます。それは民衆と女たちの群れという二つのグループが,この十字架の前にいたのだということです。当時のユダヤの指導者たちは男性によって構成されていました。イエスを十字架に掛けろと叫んだ民衆の大多数は「男性」であったと考えられます。では,女性たちはどうであったのでしょうか。女性たちはイエスの十字架刑を決定した当事者ではありませんでした。それでは十字架の贖いは,そこに関わっていなかった女性たちには関係はないのでしょうか。今の私たちも十字架の現場にいなかったから,十字架と私とは関係がないのでしょうか。今日の箇所で,改めて確認させられるのは,十字架と無関係な人は一人もいないのだ,ということです。
2. 目の前の嘆き
女性たちは,嘆き悲しんでイエスの後をついていきました。絶望的な悲しみがありました。当時の女性の地位はかなり低いものです。その彼女たちにイエスは声をかけられ,慰め,受け入れてくださいました。そのイエスが十字架刑に向かう…。女たちは十字架を前にして悲嘆にくれています。彼女たちは,激しく感情がゆさぶられて涙を流しています。しかし,この女性たちに向かってイエスはこのように声を掛けられました。「わたしのことで泣いてはいけない。むしろ自分自身と,自分のこどもたちのことのために泣きなさい。」
3. 本当に嘆くべきこと
イエスは言います。あなたが嘆いていること以上のことが,あなた自身に起こるのだからと。自ら死を求めるほどの過酷で絶望的な状況が来るというのです。これをこの後のエルサレム崩壊のことと受け取ることもできます。そして私たち自身の末路を意味しているともいえるでしょう。イエスは,私たちに,起きている悲惨な現実,出来事にただ心を奪われ,悲しみに支配されるなと言われます。目の前にある嘆きや悲しみ,それ以上に,私たちが後に置かれる裁きの現実,本当の滅び,悲しみへと目を向けなさいと言われるのです。イエスがこう言われるのは,その先にあるキリストの十字架の救いを受け取って欲しいからこそ,語られているのです。「十字架の言葉は,滅びに至る人々には愚かであっても,救いを受ける私たちには,神の力(Ⅰコリント1:18)」なのです。
[考えるために]
なぜ聖書で裁きが語られるのでしょうか。
イエスは私たちに何を受け取って欲しいと思っているのでしょうか。
投稿者 mb-church : 2009年03月07日 17:54
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