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2008年12月06日
2008/11/30礼拝メッセージ
2008年11月30日の礼拝メッセージの要約です。
ヨハネ1:1~5
「神のことばなるイエス」
1. はじめに
「はじめに,ことばがあった。」これは,創世記の第一文が意識されています。ことばとは何でしょうか。ここで意識されているのは,ギリシャ哲学のロゴスではありません。これは神の思い,神のみこころ,神のご計画,そのようなものが含まれた,まさに神が人格を持って語ったことばそのものを表しています。このことばは神とともにあり,神であったと記されています。この「ことば」こそイエス・キリストを指しています。キリストこそ神のことばそのものであり,神である方であり,すべてのはじまりの時からおられた方であると語られています。ここで表されているのは,イエス・キリストの神性です。
2. 神のことば
キリストが神のことばであるということはどのようなことでしょうか。神のことばとは,「必ずなる」ものです。キリストそのものが,神の約束の成就であり,また神そのものを表しており,神のみ思いそのものなのです。ですから,私たちはキリストを見,知り,キリストのことばを聞くときに,神そのものを知ることになるのです。そしてすべてのものは,この方を通して造られました。キリストのために私たちは造られたのです。キリストは私たちの存在に関わっておられるのです。そしてそれは私たちにキリストが反映されるということでもあります。
3. この方にあるいのち
「造られたもので,この方によらずにできたものは一つもない。この方にいのちがあった。」しかし,ここはこのように訳すことができます。「この方によらずにできたものは一つもない。造られたものは,この方にあっていのちがあった。」すべてのものはキリストを通して造られました。そこには例外はありません。そしてすべてのものは,イエスにあっていのちがあるのです。つまり,キリストに私たちがなければ,そこにはいのちがないのです。さらに5節でこう宣言されます。「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」キリストの光,そこにあるいのちは,この世の,私たちの闇を凌駕するものです。キリストにあるものは必ず真の光,永遠のいのちを得るのです。
[考えるために]
私たちは,誰にあって真のいのちを得ることができるのでしょうか。
投稿者 mb-church : 2008年12月06日 17:49
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