« 2008/11/2礼拝メッセージ | メインページへ | 2008/11/23礼拝メッセージ »

2008年11月20日

2008/11/9礼拝メッセージ

2008年11月9日の礼拝メッセージの要約です。
ルカ22:39~46
「みこころを求めて」

1. ゲッセマネの祈り
 有名なイエスの祈りの場面です。しかし,ルカの福音書は他の福音書とは異なる描き方をしています。ルカは,ここでの出来事をとても簡潔に記しています。この個所は,私たちに対してシンプルにこう語っているようです。「これからおこるであろう苦難,信仰の試練に対し,霊的な備えをせよ。その備えこそ祈りであると。」この箇所で私たちが気づかされるのは「いつものように」という言葉です。私たちには,いつものように祈るとき,そして祈る場所が確保されているでしょうか。

2. 誘惑に陥らないように
 この「誘惑」とはなんでしょうか。イエスは次のように祈られました。「父よ。みこころならば,この杯をわたしから取り除けてください。しかし,わたしの願いではなく,みこころのとおりにしてください。」この祈りの言葉は,神に祈られた言葉であると同時に,弟子たちに教えるための祈りでもあるでしょう。イエスはまず祈られます。できればこの苦難をわたしから取り除けてくださいと。しかし,ここで重要なのは次の言葉です。「しかし,わたしの願いではなく,みこころのとおりにしてください。」これこそがキリストの弟子の祈りであり,確かな備えの祈りなのです。

3. 悲しみの果てに
 しかし,この祈りは,非常に祈るのが難しい祈りでもあります。ここでも,弟子たちは「悲しみの果てに,眠り込んで」しまいました。他の福音書では,疲れて眠ってしまったかのような記述になっています。しかしルカでは悲しみから彼らは眠ってしまったというのです。一方でイエスは,十字架の苦しみを前にして,いつものように,いつもの場所で祈られました。しかし,そのもう一方の弟子たちは,いつものように,いつもの場所で,試練を前にして,祈ることをせず眠ってしまったのです。私たちにイエスは語られます。くじけそうになる事柄を前にして,祈らず眠り込んでしまった弟子のようではなく,私のように絶えず祈りなさい,と。その祈りは,ただ熱心に祈ればよいわけではありません。「わたしの願いではなく,みこころのとおりにしてください」と祈るように導かれているのです。私たちは,祈る前からここでの弟子たちのように眠り込んでしまっています。私たちはみこころを求める祈りによって,目に見える剣よりも確かな武具を手にすることになるのです。

[考えるために]
 私たちには,祈りの場所,祈りの時間が確保されているでしょうか。
 また,その祈りは何を願う祈りなのでしょうか。

投稿者 mb-church : 2008年11月20日 09:43

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.mb-church.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/275

コメント

コメントしてください




保存しますか?