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2008年11月01日

2008/10/19礼拝メッセージ

2008年10月19日の礼拝メッセージの要約です。
ルカ22:22~30
「仕える者のように」

1. 聖書の原則
 聖書の言葉は,書かれた時代の言葉として読まなくてはなりません。この箇所においてもイエスが最後の晩餐のその場で,弟子たちに語られた言葉として読むということが第一です。しかし,もう一つの視点があります。それは当時の教会に語られた言葉としての視点です。弟子たちに語られたこれらの言葉は,当時の教会の信仰者に対して語られたものでもあります。そしてそれはまさに今の私たちに対して語られている言葉であることを意識したいと思います。

2. 裏切り
 聖餐の直後,イエスはこう言われました。「しかし,見なさい。わたしを裏切る者の手が,わたしとともに食卓にあります。」直接的にはユダのことでしょう。しかし,これは聖餐を受けたものがみな受けるべき自己吟味でもあります。これは教会の話でもあるのです。イエスはその上でこう言われました。「人の子は定められたとおりに去っていきます。」 誰が裏切るか,そのこともイエスは知っていました。しかし,それでも十字架に架かられたのです。私たちが罪人であるにもかかわらずそうなさったのです。そのことを知っていてなお,イエスを裏切るような人は「わざわい」なのです。

3. 比較を超えて
 弟子たちは犯人探しをし始めました。それが発展して,とうとうこの中でだれが一番偉いのかという論議にいたるのです。これは私たちの悲しい罪の現実です。罪を自分のものとしてではなく,他者との比較の中でとらえてしまう私たちの愚かさが表わされています。しかし,そこで,イエスは教会に大きな知恵を与えてくださいました。神を信じ,キリストに従う者は,自分を誇るのではなく,一番年の若い者のようになり,仕える人のようでありなさいと勧められました。人との比較の中で,自分を正しい者とするのではなく,私たち自身が一番弱く,貧しく,むなしいものであることを自覚し,仕える人となること。それはまさにイエスの姿でした。自己正当化では,私たち自身の罪はどうにもなりません。自己正当化をすることによって,神の憐れみやキリストの十字架の恵みを取り逃してしまうことでしょう。たとい誰からも評価されなかったとしても,イエスが私たちの忠実な歩みをご覧になっています。そして,神の国での祝福を約束してくださっているのです。

[考えるために]
 私たちの基準はどこにあるのでしょうか。自己正当化に陥ってはいないでしょうか。

投稿者 mb-church : 2008年11月01日 16:39

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