« 2008/9/21礼拝メッセージ | メインページへ | 2008/10/5礼拝メッセージ »
2008年10月22日
2008/9/28礼拝メッセージ
2008年9月28日の礼拝メッセージの要約です。
ルカ21:29~36
「神の約束を信じて」
1. 時を見極める
「この世界がいつまでも続くように」そう願うものです。私たちはイエスが口にされたその世界の悲惨な現状を見て祈ります。「どうか,ここに平和が,神の国が来ますように」と。イエスの宣教はこの言葉でスタートしました。「時が満ち,神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」イエスは時を見極めなさいと言われます。ここでそれをたとえを用いて説明しました。木が茂ることにより,季節の到来を知ると同じように,今がどのような時かを見極めなさいというのです。
2. 時の捉え方
イエスが語られた「その時」とは恐ろしい審判の時であるような気がします。よく耳にする最後の審判と呼ばれているものです。イエスも私たちを脅しているのでしょうか。この天地は滅びる,だから今信じなさいと言われているのでしょうか。全てが手遅れとなってしまうその前に神に立ち返りなさい,と勧めているのは確かなことです。しかし,ここでイエスは何か分からないけれど,恐ろしいから信じるようにと言っているのではありません。イエスは「本当の現実をしっかりと知りなさい」と仰っているのです。
3. 神の国の到来
神の国が来るとはどういうことでしょうか。それは,世界の終わりだけを意味しているのではありません。それは神の救いの完成の時です。あらゆる苦難や現実に対する神の完全なる回答が,「神の国の到来」です。イエスが教えられた「主の祈り」の中にもこの事が祈られています。これは「この世界を救ってください」という切実な祈りでもあります。神の国が来るということは2重の意味を持っています。それは「滅び」と「救い」です。滅びは罪の世の滅びです。そして救いは罪の世が過ぎ去り,そして神の国がここに到来することです。私たちの目に見えるものすべては崩れ去り,過ぎ去ります。しかし,神の言葉は決して滅びることはありません。つまり,神の約束が無に帰することはなく,神の救い,神の国は必ず来るということなのです。だからこそ,私たちは世に流され,落胆することなく,神の国が来ますようにと祈るものとさせていただきたいのです。
[考えるために]
主の祈りの意味をもう一度考えましょう。
私たちは何を祈っているのでしょうか。
投稿者 mb-church : 2008年10月22日 15:08
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.mb-church.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/269