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2008年08月02日

2008/7/20礼拝メッセージ

2008年7月20日の礼拝メッセージの要約です。
ルカの福音書20:1~8
「誰の権威の下で」

1. 宮きよめで語られたこと
 「宮きよめ」のメッセージの本質は,神の前の悔い改めを迫ったということにあります。あなた自身が,神の前にささげられているのか,そうイエスは問われました。これまでのあり方を神の前に悔い改め,キリストをお迎えしなさい・・・神はそのあなたを救ってくださる。これが救いのメッセージです。

2. 何の権威の下に
 私たちはどこに基準を置いているのでしょうか。どの尺度で物事を計り,他の人を値踏みしているのでしょうか。ユダヤ人たちはイエスに問いました。「何の権威によって?」これは実に根本的な「問い」です。私たちが人間である限り,どこかに基準(権威)を置き,この世界と関わっていることでしょう。しかしイエスは人々の目に見える基準を否定されました。そしてこの行動は,この時代の権威の下にあった人々を震え上がらせ,恐れさせました。なぜ彼らは恐れたのでしょうか?

3. イエスの行動の前に
 なぜなら,イエスの言動は,人による権威を無効化した行為だったからです。その前に私たちが立たせられるならば,たちまち人間的な取り繕った正しさや正義ではなく,神の前に素の私たちの姿があらわになってしまいます。ですから,祭司長,律法学者,長老たちはイエスの前に恐れました。彼らは表向き正しさを保っているように見えます。しかし,その正しさは人の権威によって築き上げられたものでした。彼らだけではありません。私たちの世界もまた,何らかの権威によって成り立っています。それは個人においても同様です。

4. 天からか人からか
 彼らは問いました。しかし,イエスは問いを彼らに返されました。ヨハネのバプテスマは天からなのか?しかし,彼らの結論は「どこからか知りません」というものでした。それは,ただプライドと人を恐れての結論でした。彼らが恐れているのは神ではなく,「多くの人の目」また彼らが築き上げてきたものを失うことへの恐れだったのです。イエスは言われます。「あなたがたに話すまい。」この答えは,彼らの頑なさゆえです。人の目を恐れず,正しさに固執しなければ答えを出せたはずです。イエスが答えてくださらないのではなく,私たちの方で本心を隠し,答えを避けてしまうことがあるのです。

[考えるために]
 私たちは考えや行動の基準をどこに置いているのでしょうか?

投稿者 mb-church : 2008年08月02日 14:19