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2008年07月19日
2008/7/6礼拝メッセージ
2008年7月6日の礼拝メッセージの要約です。
ルカの福音書19:28~44
「王のあわれみ」
1. 人々の期待
いよいよイエスはエルサレムへと近づきました。しかし,弟子たちや群集はイエスの十字架を理解していません。しかし,人々の興奮は最高潮に達していたことでしょう。そのような中,ロバの子の背に乗ってイエスは行進しました。
2. ロバの子
イエスが二人の弟子に命じられた通りに,ロバの子が連れてこられ,その背にイエスは乗りました。ここにもイエスの超越性や神性の一端を垣間見ることができます。しかし,それ以上にこの個所が示しているのは,人々の不理解の中で,主イエスご自身が真の姿を明らかにされたということです。ロバの子の背に乗ったのは,ゼカリヤ書9:9にある王の姿を示されたからです。それは平和の王としての姿でした。さらには,完全に謙った王の姿でもありました。イエスの視線の先には確かに十字架がありました。
3. 人々の狭間で
人々の救い主としての期待とは反対に,パリサイ人たちからはこの騒ぎを鎮めるようにとの言葉がありました。一見華やかに見えるイエスのエルサレム入城は,八方塞がりな状態となっていました。誰も,これからの十字架への歩みやその重さを理解しようとはしていませんでした。まさに人間の罪の重さを,誰も見ようとはしていなかったのです。しかし,イエスはこの人々,エルサレムの姿に涙を流されたのです。
4. イエスの涙
イエスは泣かれました。本当の平和,神との和解を求めない人々の姿を見て泣かれました。それは人間の罪の現実でもありました。この平和は決して私たちの力で果たすことのできないものです。しかし,それは私たちの目には隠されています。なぜ隠されているのでしょうか?あの弟子たちも十字架のことが分かりませんでした。それは神が隠したのではありません。私たちの「罪」によって隠されたのです。それゆえに私たちは神の言葉を信じることができないでいます。主イエスが涙されたのは,この人の盲目的な罪ゆえです。しかし,イエスの涙は決してあきらめの涙ではありません。この涙は神の憐れみと愛から流された涙です。この涙の前に,私たちの心の頑なさを悔い改めましょう。
[考えるために]
イエスの涙はどのような思いから流された涙でしょうか?
また,誰のために泣かれたのでしょうか?
投稿者 mb-church : 2008年07月19日 10:42