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2008年06月18日
2008/6/1礼拝メッセージ
2008年6月1日の礼拝メッセージの要約です。
ルカの福音書18:18~27
「欠けたところ」
1. 神の国,永遠のいのち
ある役人がイエスに問います。「何をしたら永遠のいのちを得ることができるのか」と。彼は明らかに「何かをすれば」永遠のいのち,神の救いを受けることができると考えています。確かに力を尽くして歩むときに,そこに神の祝福が与えられるのは,世の摂理と言ってもいいでしょう。しかし,この世界は人の「罪」によってゆがんでしまっています。その罪は,私たちの力では克服することはできないのです。
2. 罪からの救い
「救い」は,ただ私たちが成功した人生を送り,不幸を避けるという意味ではありません。聖書の「救い」とは,罪からの救いです。この救いは,個々人から全世界にまでおよぶものです。役人は,救いが何かをわかってはいません。ただ,彼は自分の人生に栄誉や正しさを加えようと,イエスの前にやってきました。彼はイエスを人間の教師と考え,その答えを求めました。彼は神に求めようとはしませんでした。その役人の考えをイエスは否定されます。確かに役人は,十戒も他のイスラエルの人々と同様に,幼い時から守ってきたこでしょう。イエスは彼の目を本質的な問題に向けさせます。彼に全財産を売り,貧しい人に与え,そして従いなさいと語られました。
3. 欠けたところ
なぜ,イエスは不可能なことを口にされたのでしょうか。なぜなら,この問いこそ彼の本質的な罪を明らかにするものだったからです。彼の価値基準はどこにあったのでしょうか。それは「富」と「名声」です。それは人の評価であり,また物によって自分を高めようとする生き方です。さらにイエスは問われます。天に宝を積む,つまり,あなたは本気で神を信じ認めているのか,と。私たちは誰でも,神を認めることのできない罪を抱えています。その生涯の中で,何か自分の力ですべてをなしているかのような錯覚に陥っているのです。それこそが「罪」であるとイエスは私たちに語られています。
4. 救いはどこから
ただ神により頼むものに救いは与えられます。罪からの救いは,ただただ神による,イエスの十字架によるのです。私たちに欠けていることは何でしょうか。それは神以外による救いはないと,心から認めることなのです。
[考えるために]
私たちの内にある錯覚とは何でしょうか?あなたの生涯は誰から与えられたものでしょうか?