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2008年05月02日

2008/4/20礼拝メッセージ

2008年4月20日の礼拝メッセージの要約です。
ルカの福音書18:9~14
「自己義認という課題」

1. 自己正当化と他者との比較
 イエスは神にある本当の救い,罪の赦しは,決して人の目に見えるものによってではないことを明らかにされました。私たちには神の救いが必要なのです。しかし,私たちは自己正当化によって,自分は罪人ではないと思い,神の救いは必要のないものだと考えてしまうのです。また,私たちは他の人との比較によって,自分の正当性を保とうとします。比較とは他者との違いだけではありません。人と同じだから安心することも比較に入るでしょう。そして私たちは自分とは違う人に対して赦すことのできない者でもあるのです。

3. ふたりの人
 パリサイ人と取税人がたとえに登場します。パリサイ人は自己正当化と他人との比較を祈ります。まさに自己義認の祈りです。自分の行動や言動は正しい,自分は正しい側にいるとこの人は考えています。しかし彼の基準は神にはありません。彼の基準は人の作り出した基準です。その一方で取税人は何を祈ったのでしょうか。取税人は遠く離れて立ち,目を天に向けようともせず,自分の胸をたたいて祈りました。「こんな罪人の私をあわれんでください。」この祈りの中には,他の人は登場しません。彼は目を天に向けようともしていません。なぜなら,それは今目の前にいる「神」を意識しているからです。そこには聖なる神を前にした「恐れ」や「おののき」があります。

4. 義とされたのは・・・
 イエスは取税人が義と認められたと語りました。私たちが自分の正しさや基準,またプライドなどにしがみついている限り,私たちはパリサイ人でしかありません。私たちが義と認められ,高く上げられるのは神のあわれみのゆえです。そして,救いを可能にしたのは,十字架の贖いのみ業なのです。私たちは根本的に自己義認の弱さを持っています。だからこそ,私たちはキリストの十字架の赦しを見続けることが必要です。神のあわれみを受けた者として,いつでも神の前に謙らせていただきましょう。

[考えるために]
 私たちの中に潜む自己義認の弱さは,どのようにして乗り越えられるのでしょうか。

投稿者 mb-church : 2008年05月02日 14:42

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