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2008年02月10日

ハートフルコンサートのご案内~その2

~春よこい~ハートフルコンサート

寒い日が続いています。
いよいよ今週末,ハートフルコンサート開演です。
コパンのお二人をお迎えしての,暖かい音楽のひと時。
2月16日(土)13:30開場,14:00開演,入場無料です。
駐車場はありませんので,車でのご来場はご遠慮ください。

やさしいぬくもり,こころ落ち着く時間。
ほっとするひととき,ここにあります。

みなさまのお越しを心からお待ちしています。

投稿者 mb-church : 16:41 | コメント (0) | トラックバック

2008年02月04日

2008/2/3礼拝メッセージ

2008年2月3日の礼拝メッセージの要約です。
ルカの福音書16:19~31
「大きな淵」

1. ある金持ち
 このたとえの「ある金持ち」とは,イエスの話を笑った「金の好きなパリサイ人」たちのことでしょう。彼らは自分で自分を正しいとする人々でした。それは,神という存在を抜きにした時の,人間の姿そのものです。絶対的な存在である「神」を無視したとき,人間は,神以外のものを絶対化する傾向があります。目に見えるものや権力,富,それらを私たちは「神」とすりかえてしまうのです。

2. 平等に訪れる死
 貧しい人の名はラザロ。名前の意味は「神が助けてくださる」。彼は,「罪人」の代表であり,神の救いを待ち望んでいた人であることが名前によって物語られています。この二人にも平等に死がやってきました。この箇所は,死後の世界をイエスが説明したものではありません。ここは,当時のユダヤ人が信じていた死後の世界を土台として,イエスがメッセージを伝えようとしている箇所です。当時の人々は,死後魂がハデス(陰府)に置かれると考えていました。そしてそれは天にある幾つかの層の一つと考えていました。パリサイ人は,自分だちが天で上の層に行くと考えていたのです。これでは天でも上下があり,この世とあまりかわらないようです。

3. 金持ちの願い
 金持ちはアブラハムに,ラザロを自分のところに送るように願いました。しかし,答えは冷たいものでした。ラザロをそこに送ることはできない。ここでイエスは,「死んだ後では,その生き方を訂正することはできない」そう言っておられるかのようです。金持ちは,これを聞いて違うリクエストをし始めます。それは,まだ生きている兄弟に,警告をしたいということでした。しかし,アブラハムはこう答えるのです。彼らには旧約聖書,つまり神が語り続けてきたみことばがあるではないか,と。

4. 聞き入れるということ
 金持ちはねばります。死者の警告を聞くならば,彼らは悔い改めるに違いない。最終的なイエスの答えはこうでした。もし,神の言葉に耳を傾けなければ,誰かが死人の中から生き返っても聞き入れはしない。自分の正しさから抜け出すことができなければ,神のことばを聞き入れることはできない。すでに必要なことは神から十分に語られているのです。

[考えるために]
 私たちは,神のことばを聞き入れているでしょうか?
 聞かない者やただ聞くだけのものになっていないでしょうか?

投稿者 mb-church : 01:17 | コメント (0) | トラックバック

2008/1/20礼拝メッセージ

2008年1月20日の礼拝メッセージの要約です。
ルカの福音書16:14~18
「神は心を知っておられる」

1. 不正な管理人のたとえ
 不正な管理人のたとえをイエスは人々に話しました。あなたは,神を信じ仕えているようでいて,その実際は別の主人に仕えているのではないか,そう問いかけられました。その問いに対して,パリサイ人たちはイエスをあざ笑いました。彼らにイエスは言われました。あなたがたは,人の前で自分を正しいとする者だ,と。

2. 心を知るお方
 神はあなたがたの心をご存知であると,イエスは言われました。神が,この私の心を知っておられ,今何を一番としているのか,私の心の奥底まで知っておられる・・・。このことを私たちが受け止めるとすると,安心以上に恐れを感じるのではないでしょうか。イエスはこう言われました。「人間の間であがめられるものは,神の前で憎まれ,きらわれます。」神が最も憎まれるものは「偽善」です。この偽善は,容易に私たちの内にも入り込んでくるものです。偽善は私たちが神を侮ることから始まります。

3. 神のことばの本流へ
 バプテスマのヨハネ以降,イエスによって,神の国の福音は述べ伝えられ,多くの人が救いへと招かれています。その一方で,パリサイ人たちは,イエスは律法を壊すものだと感じていました。しかしイエスは言います。「律法の一画が落ちるよりも,天地の滅びるほうがやさしい」と。そして,イエスは離婚に関する問題を取り上げて,人々に誤りを気付かせようとしました。当時,様々に解釈された離婚を正当化する教えに対し,神が定めた秩序と権威へと,人々をイエスは導こうとされたのです。私たちの罪の根はどこにあるのでしょうか。それは,私たちが安易に,神のことばを言い換えてしまう所から始まるのです。神はあなたの心を知っておられます。私たちの心を知るお方の前に,私たちはへりくだらせていただきましょう。

[考えるために]
 偽善は私たちのどのような態度から生じるのでしょうか?

投稿者 mb-church : 01:11 | コメント (0) | トラックバック