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2007年11月15日

2007/11/11礼拝メッセージ

2007年11月11日の礼拝メッセージの要約です。
ルカの福音書14:25~35
「私たちが支払うもの」

1. 厳しいことば
 大勢の人々が,イエスについてきました。しかし,イエスはその人々に対して,気休めを語ろうとはしませんでした。イエスが語ったのは厳しい内容でした。家族をまた自分のいのちを憎むということ,そして,自分の十字架を負ってイエスについていくということ。私たちはこのことを実行できるのでしょうか。

2. 自分の十字架を負うこと
 自分の十字架とは,運命や定めということではありません。自分の十字架とは,第一にこの私の「罪」のことです。さらには,その罪がキリストの十字架によって赦されたという第二の意味をも受け取ることができるでしょう。それは,救いの「恵み」です。それでは,家族や自分のいのちを憎むとはどのようなことでしょうか。この時代の人々の考えていた救いの根拠やいのちの価値観はどこに置かれていたのでしょうか。それは,「血筋」であり,また「内と外」という価値観であり,さらには自己義認という問題でした。しかし,イエスが語られたのは,信仰の根拠はそれらのものではなく,十字架にあるということだったのです。

3. まったく足りていない現実
 さらにイエスはたとえを話されました。それは,搭を建築する人と戦いに赴く王の話です。そのどちらも私たちは十分に持っていないということが分かります。そして,結論は「自分の財産を全部捨てる」ということでした。私たちは,あなたの周りの全ての自分を支えるもの,自分を支配するもの,自分の価値を作り出していると思われるもの,そのようなものに中途半端により頼むべきではありません。イエスが語られたことは,私たちのいのちの根拠は,ただ十字架の救いにのみある,ということなのです。

4. 塩が塩であるには
 キリストの弟子としての塩気とは何でしょうか?正しい言動?また家族?血筋?キリスト者の塩気とは,ただ主の恵みによって私は救われているのだ,という信仰なのです。

[考えるために]
 キリストの弟子であり続ける秘訣とは何でしょうか?

投稿者 mb-church : 2007年11月15日 13:29