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2007年06月09日
2007/6/3礼拝メッセージ
2007年6月3日の礼拝メッセージの要約です。
ルカの福音書11:45~54
「聞いているようで聞いていない人」
1. 律法学者への非難
パリサイ人への非難は,律法学者への非難の言葉としても響きました。そこで,律法学者も黙っているわけにはいかなくなりました。しかし,彼らは,イエスの言葉を「侮辱」としてしか受け止めることができませんでした。イエスは,ここで単なる非難ではなく,「人の罪」の問題を取り扱っています。「あなたがたは,人々には負いきれない荷物を負わせるが,自分は,その荷物に指一本もさわろうとしない。」まず,ここで指摘されているのは,律法学者のした聖書解釈についてです。それは,丁度,律法を自分の基準にあわせて解釈することによって,自己正当化をする姿でした。しかも,自分ではリスクを負わず,その正当性を人々に押し付けていたのです。
2. 神のことばを無にする
さらにイエスは言いました。「あなたがたは預言者たちの墓を建てている。」実際に彼らが預言者を殺したわけではありません。それは神の言葉を無にしているということでしょう。預言者のメッセージは,生ける神を恐れよ,神に立ち返れ,神をあがめよ,というものでした。預言者は,いつも律法の本質に目を向けていたといってもいいでしょう。そもそも律法とは,守れば自分は正しくなるというものではありません。律法とは,神に従うものたちに示された,神ご自身の聖さや愛,公正さを示すものであり,律法によって,自分の罪が教えられ,また,律法によって,神ご自身を知ることのできるものです。十戒をあなたなりに守れば救おうというものではありません。あなたは私のものだから,私の命令に従わなくてはならない,と神は語られたのです。この順番が大切なのです。
3. 人々の妨げとなる者
律法学者の大きな罪は,人々を妨げたことにあります。私たちは,教会はどうでしょうか。神を求める人の妨げとなってはいないでしょうか。私たちも神の前にへりくだり,聖書にあらわされた神のことばの本質を受け止めてまいりましょう。
[考えるために]
私たちは神のことばを「無」にしていないでしょうか?人々の妨げとなっていないでしょうか?
投稿者 mb-church : 2007年06月09日 10:32
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