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2007年06月28日

2007/6/24礼拝メッセージ

2007年6月24日の礼拝メッセージの要約です。
ルカの福音書12:13~21
「あなたのいのちの場所」

1. 遺産問題
 群集の中の一人が遺産問題について,イエスの助けを求めにきました。彼は何を期待してイエスのところに来たのでしょうか?しかし,イエスは「いったい誰が私をあなたがたの裁判官や調停者に任命したのか」と答えました。この当時,律法の教師は,このような問題の調停もしていましたが,イエスはその立場とは異なることを明らかにしています。

2. どんな貪欲にも注意しなさい
 私たちもまた,何をイエスに願っているのでしょうか?この群集の一人は,イエスに問うだけの正当な理由もあったのでしょう。しかし,イエスの口から出た言葉は,おおよそ,その人の思いとは異なるものでした。「どんな貪欲にも注意して,よく警戒しなさい。」そのように,この人に,また群集に教えられたのです。

3. いのちの場所
 「いくら豊かな人でも,その人のいのちは財産にあるのではない」とイエスは言いました。「財産」とは何を指しているのでしょうか。この群集の一人がイエスに求めたものは,「私の持ち分」でした。しかし,イエスは,あなたのいのちは持ちものにはないと言われたのです。

4. 「私の」という思い
 イエスはたとえを語ります。その中に出てくる人は,作物も倉も穀物も財産も,さらには魂もすべて「私のもの」であると考えていました。しかし,最終的に,神はこの人のことを「愚か者」と言われ,さらに自分の魂そのものも,神に取り上げられてしまう結末を迎えます。イエスの言う貪欲とは,あなた自身をも自分の所有と考えることです。真に富む者とは,すべてが神のものであると知っている人のことなのです。

[考えるために]
 イエスとはあなたにとって,どのようなお方なのでしょうか?Ⅰペテロ2:25を読みましょう。

投稿者 mb-church : 17:54 | コメント (0) | トラックバック

2007年06月21日

2007/6/17礼拝メッセージ

2007年6月17日の礼拝メッセージの要約です。
ルカの福音書12:8~12
「聖霊に信頼するということ」

1. 聖霊にゆだねること
 今日のポイントは,「聖霊に期待するということは,私たちの今から後を,自分や他のものではなく,主に期待してゆだねる」ということです。聖霊の働きにゆだねるということは,何を意味しているのでしょうか。それは,私たち自身の悟り,私たち自身の力,またこの世の権力,この世の富によらず,私たちの内に働かれるお方に,すべて期待し,ゆだねることを意味しています。

2. これから向ける困難
 イエスは,ここで弟子たちがこれから迎えるであろう困難に言及します。しかし,そのような困難を前にしても,イエスを認める者を,神は認めてくださると約束しています。しかし,その逆に,イエスを知らないと言うものを,神もまた知らないと言うとも語られています。私たちはどうでしょうか?

3. 聖霊の働き
 聖霊の働きは人の内に働き,救いを得させるよう導くことです。ですから,イエスをそしるような者であっても,聖霊に導かれ,悔い改めるならば,その人は赦されます。しかし,内なる聖霊の働きを拒否する者は,イエスを主と認めることができません。つまり,その人は赦されないのです。イエスを主と認めるのは,私たちの力や努力や意志の強さによるのでしょうか。そうではありません。その人のうちに働く聖霊の力によるのです。

4. 私たちのなすべきこと
 私たちのなすべきことはいったいなんでしょうか。それは,内なる聖霊の働きに期待し,ゆだねることです。私たちの「今から後」を主に期待してゆだねること,これこそ,私たちが今なすべきことなのです。

[考えるために]
 私たちは,聖霊を,日生活常の中で認めているでしょうか?
 あなたは,聖霊に期待して歩んでいるでしょうか。

投稿者 mb-church : 14:11 | コメント (0) | トラックバック

2007年06月20日

2007/6/10礼拝メッセージ

2007年6月10日の礼拝メッセージの要約です。
ルカの福音書12:1~7
「恐れをなくすお方」

1. 今日の結論
 「本当に恐れなくてはならない方が,あなたの恐れをなくしてくださる」ということがここでの結論です。ここで,群集が再びイエスのまわりに集まってきました。この大勢の群集の中で,本当にイエスご自身を求めた人は何人いたのでしょうか?そのような中で,イエスは,まず弟子たちに語り始めました。「パリサイ人のパン種に気をつけなさい。」

2. パリサイ人の偽善
 ここで,イエスは「パリサイ人に気をつけなさい」ではなく,「パリサイ人のパン種,偽善に気をつけなさい」と言われました。パリサイ人の「偽善」は,神のことばを無にし,神よりも自分の正しさを優先させたことにありました。それゆえに,自分が罪人であることを認めようとはしなかったのです。しかし,イエスは,すべての偽善,隠されたもの,罪が,後に明らかになると言われました。

3. 友であるあなた方は・・・
 そこで,イエスは弟子たちを「わたしの友」とした上で話を続けられました。偽善の根本的な原因である「人への恐れ」を優先するのではなく,「神を恐れなさい」とイエスは語られました。なぜなら,肉体の死だけではなく,私たちの存在そのものを握っているのは,神であるからです。ここで,イエスは,神の偉大さ,権威,その力に目を向けさせています。

4. だから・・・
 イエスは,取るに足りない雀,そして髪の毛でさえ,神は忘れず,数えていると言われました。それは,ただ知っているだけではなく,大きな関心を持って,いつも私たちのことを覚えているということであり,私たちの知らないことさえも,ご存知であるということです。イエスは私たちのことを友と呼んでくださいました。このことを覚える時に,偉大なる神の存在が単なる恐れではなく,すべてに勝る平安となるのです。だから,私たちは,もはや何者をも恐れなくてよいのです!

[考えるために]
 神はあなたのどこまでをご存知なのでしょうか?
 神の偉大さを覚えるときに,私たちに何が与えられるのでしょうか?

投稿者 mb-church : 09:38 | コメント (0) | トラックバック

2007年06月09日

2007/6/3礼拝メッセージ

2007年6月3日の礼拝メッセージの要約です。
ルカの福音書11:45~54
「聞いているようで聞いていない人」

1. 律法学者への非難
 パリサイ人への非難は,律法学者への非難の言葉としても響きました。そこで,律法学者も黙っているわけにはいかなくなりました。しかし,彼らは,イエスの言葉を「侮辱」としてしか受け止めることができませんでした。イエスは,ここで単なる非難ではなく,「人の罪」の問題を取り扱っています。「あなたがたは,人々には負いきれない荷物を負わせるが,自分は,その荷物に指一本もさわろうとしない。」まず,ここで指摘されているのは,律法学者のした聖書解釈についてです。それは,丁度,律法を自分の基準にあわせて解釈することによって,自己正当化をする姿でした。しかも,自分ではリスクを負わず,その正当性を人々に押し付けていたのです。

2. 神のことばを無にする
 さらにイエスは言いました。「あなたがたは預言者たちの墓を建てている。」実際に彼らが預言者を殺したわけではありません。それは神の言葉を無にしているということでしょう。預言者のメッセージは,生ける神を恐れよ,神に立ち返れ,神をあがめよ,というものでした。預言者は,いつも律法の本質に目を向けていたといってもいいでしょう。そもそも律法とは,守れば自分は正しくなるというものではありません。律法とは,神に従うものたちに示された,神ご自身の聖さや愛,公正さを示すものであり,律法によって,自分の罪が教えられ,また,律法によって,神ご自身を知ることのできるものです。十戒をあなたなりに守れば救おうというものではありません。あなたは私のものだから,私の命令に従わなくてはならない,と神は語られたのです。この順番が大切なのです。

3. 人々の妨げとなる者
 律法学者の大きな罪は,人々を妨げたことにあります。私たちは,教会はどうでしょうか。神を求める人の妨げとなってはいないでしょうか。私たちも神の前にへりくだり,聖書にあらわされた神のことばの本質を受け止めてまいりましょう。

[考えるために]
 私たちは神のことばを「無」にしていないでしょうか?人々の妨げとなっていないでしょうか?

投稿者 mb-church : 10:32 | コメント (0) | トラックバック

2007年06月02日

2007/5/27礼拝メッセージ

2007年5月27日のペンテコステ礼拝メッセージの要約です。
ヨハネの福音書14:16~17
「われらのうちに住むお方」

1. ペンテコステ
 ペンテコステは,イエスが弟子たちに約束したことが成就した日です。その約束は,イエスが天にのぼられた後,弟子たちに助け手である聖霊を与えるというものでした。聖霊が弟子たちにくだった時,教会がこの世界に誕生しました。

2. 「あなたのただ一つの慰めは何ですか?」
 「聖霊によりわたしに永遠の命を保証し,今から後,この方のために生きる事を心から喜び,またそれにふさわしくなるように,整えてもくださるのです。」私たちに内住する聖霊は,第一に永遠の命を保証する方です。永遠の命とは,私たちの死んで滅ぶべき運命が取り除けられ,永遠に神とともに生きることです。永遠の命を得るのは,私たちの努力でもなく,信心深さでもありません。ただ,キリストへの信仰によってのみ与えられるものです。

3. 信仰という奇跡
 イエス・キリストが救い主であることを,どんなに理論的に話をしたところで,十分な説明にはならないでしょう。なぜなら,イエスへの信仰そのものが,いわば奇跡であるからです。私たちがイエスを救い主であると信じ,告白するには,聖霊の働きが不可欠です。聖書を開くこと,みことばに聞き,理解すること,また多くの出会い,すべての事象,それらは決して偶然ではありません。そこに,必ず,神の霊が,聖霊が働いているのです。

4. 永遠のいのちの保証
永遠の命の保証は,一度限りの保証ではありません。どのような事態に直面しようとも,制限なく保証を与えてくれるものです。聖霊は,不完全で,身勝手な私たちと,ともに歩んでくださるお方です。私たちに絶えずイエスが主であることを分からせ,神への思いを強めてくださる存在です。イエスを信じた時から後,私たちには聖霊が与えられています。私たちの生涯は,御霊に導かれている今という時の積み重ねなのです。私たちは,この聖霊が与えられ,今,私の内に住み,語ってくださっていることを,絶えず覚えましょう。来る朝ごとに,自分自身にこう語りましょう。助け手であり,導き手であり,慰めぬしなる聖霊が,今,私の内に住んでくださっています!と。

[考えるために]
 ハイデルベルグ信仰問答の問い1を,聖霊の働きを覚えつつ黙想しましょう。
 問い「生きるにも死ぬにも、あなたのただ1つの慰めは何ですか。」

投稿者 mb-church : 19:07 | コメント (0) | トラックバック