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2007年05月22日
2007/5/20礼拝メッセージ
2007年5月20日の礼拝メッセージの要約です。
ルカの福音書11:37~44
「うちからのきよめ」
1. 食卓に招かれたイエス
イエスが語られた後,一人のパリサイ人がイエスを食事に招きました。おそらくそれは純粋な招きではなく,さらにイエスが誰であるかを確かめようとしたのでしょう。この人は,決して,自分が「悪い時代」の一員であるとは思ってはいませんでした。そして,彼は驚くことになります。なぜなら,イエスが,食事の前の洗いきよめの慣習をしなかったからでした。
2. 信じられない行動
これは単なる手洗いの習慣ではありません。まるで,外のものはすべて汚れたものであるかのように考え,儀式的に身を洗い清めることを彼らはしていたのです。しかし,あえて,イエスはそのことをしませんでした。なぜでしょうか。それは彼らの持っていた内と外との区別に挑戦をするためでした。彼らは内の汚れを取り扱うことを避け,外側のみを問題としていたのです。
3. すべてを造られた神
「おろかな人たち。外側を造られた方は,内側をも造られたのではありませんか」とイエスは語られました。内と外を分けるということは,まことの神をよく知らない者たちのすることです。私たちにかかわるすべての領域において,神は「神」なのです。ですから,私たちは,まず内のものをささげなくてはなりません。自分がいかにも正しい人のように振舞い,他の人との比較の中で安心したとしても,それはまことの神の思いからかけ離れた姿であり,愚かな者なのです。
4. 内のものを施す
私たちの内にあるものは何でしょうか。私たちの弱さも,愚かさも,足りなさも,そのすべてをまず神の前に差し出すことを,神は求めています。私たちも,内と外とを区別し,神の前にその内を隠してはいないでしょうか。神の前に自分を誇れる人などいないということを私たちは忘れてはなりません。
[考えるために]
私たちのすべては神によって創られました。
そのすべて(心も)は,誰のものとなっているでしょうか?
投稿者 mb-church : 18:43 | コメント (0) | トラックバック
2007年05月12日
2007/5/13礼拝メッセージ
2007年5月13日の礼拝メッセージの要約です。
ルカの福音書11:33~36
「暗やみにならないために」
1. あかり
このあかりは,神の啓示と言ってもいいでしょう。この直前の箇所にあるように,すでに示され,そして今やイエスご自身によって示された「裁きと,神からの救いのしるし」のことです。つまり,神は,ご自身のこと,また,私たちの救いのことを隠してはおられなかった。むしろ多くの人々に分かるようにしてくださいました。神は,イエス・キリストを通して,私たちに光を見せてくださったのです。
2. からだのあかり
「あかり」の役割とは何でしょうか。それは「ガイド」ということです。何があるのかを示し,暗闇を照らすもの。それがあかりです。からだ全体をガイドするものは,目であるとあります。そして,その目が健全であるならば,全身も明るくなります。しかし,目が悪ければ,全身が暗くなるのです。私たちの目の前にある物にかわりはありません。しかし,それを知覚し,受け取る目そのものが健全かどうかで,風景そのものが変わってしまうのです。私たちは,そこにある光を受け取っているのでしょうか。
3. だから・・・
だから,私たちは,光そのものを見続けなくてはなりません。私たちの目が健全になり,からだ全体が明るくなるためには,どうしたらいいのでしょうか。だからこそ,私たちは,神の光を,キリストを,啓示の光であるみことばを見続けるのです。
4. あかりとなるということ
私たちがキリストを,またみことばを見続けるならば,私たち自身があかりとなると言われています。キリストの光が,私たちを照らし導いてくださったように,今度は私たち自身が,世の光,人々へのあかりとなります。私たちの力であかりとなることはできません。しかし,キリストの光に,みことばの光に照らされ,その光を見続けるならば,私たち自身が神の栄光を反映させるものとなるのです。
[考えるために]
今あなたは何を見続けているでしょうか?
投稿者 mb-church : 21:29 | コメント (0)
2007/5/6礼拝メッセージ
2007年5月6日の礼拝メッセージの要約です。
ペテロの手紙第一1:5,18~19
「神の御力による守り」
ハイデルベク信仰問答より
問い「生きるにも死ぬにも,あなたのただ一つの慰めは何ですか?」
答え「わたしがわたし自身のものではなく,体も魂も,生きるにも死ぬにも,わたしの真実な救い主 イエス・キリストのものであることです。この方は,ご自分の尊い血をもってわたしのすべての罪を完全に償い,悪魔のあらゆる力からわたしを解放してくださいました。また,天にいますわたしの父のみ旨でなければ,髪の毛一本も落ちることができないほどに,わたしを守っていてくださいます。実に万事がわたしの救いのために働くのです。」
1. 償い
私たちは,実は,償わなくてはならない存在であることに,自覚しているでしょうか?私たちの多くは被害者意識を持っています。しかし,聖書ははっきりと語ります。「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。すべての人が迷い出て,みな,ともに無益なものとなった。善を行う人はいない。ひとりもいない。」つまり誰もが加害者であり,罪人であると聖書は語ります。
2. 悪魔の力
「悪魔」とは何でしょうか?悪魔とは,私たちから,神に対する思い,善に対する思いを阻むもの,さらには,その逆の思いへと私たちを導く力です。そう考えるとこの世界には「悪魔」が数限りなくいます。私のうちにも「悪魔」がいることになります。それは「呪い」と言ってよいほどに,逃れることのできない力とも言えるでしょう。この状態から解放されるにはどうしたらいいのでしょうか。
3. 救い
私たちは,神に対して償わなくてはならない存在です。それだけではなく,負の力から解放されなくてはなりません。私たちにこの代償を払う能力はあるのでしょうか?この償いを私たちの身代わりにしてくださった方,それがイエス・キリストです。ここに真の希望があります。救いの原点である十字架があるのです。
4. 全生涯に渡る守り
さらにこの救いは,私たちの全生涯に渡るものです。キリストによって私たちが神のものとなっているならば,万事がわたしの救いのために働きます。この「わたし」は,個人の幸せを述べているのではありません。神を愛する人々,さらにはこの世界の救いへとつながっているのです。
[考えるために]
キリストによってあなたが神のものとなっているときに,与えられるものとは何でしょうか?
投稿者 mb-church : 21:20 | コメント (0) | トラックバック
2007年05月02日
2007/4/29礼拝メッセージ
2007年4月29日の礼拝メッセージの要約です。
ルカの福音書11:29~32
「ヨナのしるし」
1. しるし=奇跡?
イエスがここで問題にしたのは,人々が「しるしを求めている」ということです。しかし,彼らが求めていたのは,単なるしるし=奇跡ではありませんでした。イエスが指摘したしるしとは「さばきと救い」のことです。人々は,裁きなどない,そう考える人々が多くいました。今はまだ大丈夫,また,自分は大丈夫だと考えていたのです。
2. 悪い時代
イエスは,ここで「この時代は,悪い時代」と評します。なぜなら,しるしが示されているのに,気が付こうとしないからです。そして「ヨナのしるしのほかには,しるしは与えられない」と語ります。つまり,預言者ヨナの時にしるしはすでに示されているではないか,そう言っているのです。
3. ヨナのしるし
ヨナのしるしとは何でしょうか。それは,ヨナの口を通して,異邦人の国ニネベに,神の裁きの近いこと,そして神に立ち返れとのメッセージでした。そして,ニネベの人々は神に立ち返ったのです。そして,イエスは,ご自身をヨナ以上の者であると語られました。さらに,イエスはソロモン以上であるとも言われたのです。
4. すべてにまさった者
イエスは,神の子,神の力,神のことばそのものです。さらに,預言者ヨナよりも,王ソロモンよりもまさる者です。なぜなら,イエスは私たちの側まで来てくださり,へりくだられ,十字架にかかり,救いへと私たちを導かれました。王の座から降り,神であるにもかかわらず,私たちと同じ罪人の姿をとってくださいました。今,この時こそ,神に立ち返る時なのです。
[考えるために]
なぜこの時代は悪い時代なのでしょうか?