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2007年01月26日

コンサートのご報告

1/20のハートフルコンサート。
本当にすばらしい時となりました。
牧師であり,ミュージシャンである遠藤稔さんの渾身の演奏と,聖書からのストレートなメッセージ。
教会ならではのコンサートとなりました。

これからも"教会"でしか聞くことのできない"もの"をみなさんにおとどけいたします。

もちろん日曜日ごとの礼拝にも,どうぞお越しください。


投稿者 mb-church : 17:34 | コメント (0) | トラックバック

2007年01月17日

2007/1/14礼拝メッセージ

今週,土曜日,ハートフルコンサートが開催されます。
お近くの皆様(遠くてももちろんOKですよ),どうぞ心温まりにお越しください。
14時開演です。

2007年1月14日のメッセージの要約です。
ルカの福音書10章1~3節
「働き手となるために」

1. 実りは多い
 以前,遣わされた弟子たちが,ここでは70人に増えています。その70人が,イエスご自身が行くつもりのすべての町や村へ,先に遣わされることになりました。ここで,イエスは実りは多いと言われています。しかし,イエスはこう続けます。「働き手が少ない」働き手とはいったいどのような人のことなのでしょうか?収穫者なのでしょうか。

2. 働き手となる人
 「実り」は,イエスを信じ,神に立ち返った人々のことです。しかし,神へ立ち返るその次に問われるのは,その立ち返った人々が,主に従う働き手となるかどうか,ということです。当時も今も,多くの人がイエスを信じ,まことの神を信じます。しかし,その先が問題です。働き手となるかどうか。あくまでも収穫の主権者は主です。主が与えてくださる大きな実りの中で,真に主に従う応答のする者が起こされるかどうか,それが問題なのです。

3. 祈りなさい
 主の収穫のときに,働き手が起こされるように切に祈りなさい,とイエスは勧められました。主が働いて,多くの人が主に立ち返ります。しかし,その豊かな実りの中で,そこからさらに主に従う働き手が起こされなければなりません。ここでイエスは,働き手を育成しなさいとは言われませんでした。イエスこのように言われました。働き手を送ってくださるように,神に祈りなさいと。私たちはどれだけそのような祈りをしているでしょうか。さらに,この祈りを通して私たちは問われています。それは,この祈りがこの私を働き手としてください,という祈りでもあるということです。収穫の主に,働き手を送ってください,いえ,私をお遣わしくださいと切に祈る者とさせていただきましょう。

[考えるために]
 働き手とはどのような人のことでしょうか?
 私たちは誰に期待するのでしょうか?

投稿者 mb-church : 10:01 | コメント (0) | トラックバック

2007年01月10日

ハートフルコンサート2007はもうすぐです!

2007年1月20日(土)にいよいよ迫ってまいりました!
ハートフルコンサート2007に皆さんぜひお越しください。
北海道からすばらしいゲストをお迎えします。

現役の牧師であり,神様に賛美をささげる音楽家でもある遠藤稔さんをお迎えしてのハートフルコンサート。
ソプラノサックス独特の美しい音色を聞かせてくださいます。
すばらしい神様への賛美に,こころ暖まりに来てください。
教会員一同お待ちしております。

日時:1/20(土)午後2時開演
場所:真砂バプテスト教会
入場無料です。

ちらしを印刷する方はこちら

投稿者 mb-church : 14:57 | コメント (0) | トラックバック

2007/1/7礼拝メッセージ

2007年1月7日のメッセージの要約です。
イザヤ書60章1~3節
「あなたの光」

1. 闇の時代
 この預言が語られた時代は,やみが地を覆っていた時代です。しかし,私たちはこうも思います。一体,いつ,どこでこの地にやみがなかった時代などあったのだろうか。聖書が私たちに語りかけているのは,どの時代であっても,どこであってもこの世にやみはあったのだ,ということです。いつの時代でも,神から離れた人間は,闇の中にいると言えるのです。

2. 神の命令
 「起きよ。光を放て。」しかし,そのやみの中にあってなお,神は私たちに輝け!と命じられます。この根拠はどこにあるのでしょうか。それは,私たちの上に,光が,神の栄光が到来したからです。これを新約の光に照らし出すときに,まことの光であり,神の栄光である方,イエス・キリストを指していることは容易に理解できるでしょう。私たちが光の元なのではありません。主イエス・キリストが私たちのいのちの光なのです。

3. 照らし出す光
 しかし,それでも神は私たちに語られます。その光をすべての人々の前で輝かせなさいと。イエスも言われました。「あなたがたは,世の光です。」主イエス・キリストを知った私たちは,世の光なのです。しかし,この光の輝きは,私たちの成果や力を指しているのではありません。生き生きとした生き方でもありません。そうではなく,私たちがやみにあるときに,主イエスにあって神とともに生きることこそ,光を輝かせることなのです。私たちの悔い改めに,私たちの主にある誠実な歩みの中に,主の栄光は表されます。それぞれの主にある生涯を通して,まことの光は照り輝くのです。

[考えるために]
 聖書の信仰者たちは,何によって光を放ったのでしょうか?

投稿者 mb-church : 14:54 | コメント (0) | トラックバック

2007年01月01日

2006/12/31礼拝メッセージ

新年,明けましておめでとうございます。
神様の祝福が,そして平和がこの地にあることをお祈りいたします。
2006年12月31日のメッセージの要約です。
詩篇4篇
「夕べの祈り」

1. ダビデの祈り
 この詩篇はダビデが苦難にあるときの祈りです。どのような苦難にあろうとも,時は過ぎていきます。日は沈み,日はまた昇る。しかし,真に闇を抜けるためには,ただ自分に,明日もいい日が来ると言い聞かせるだけでは,足りないでしょう。現実が苦しければ苦しいほど,私たちはそこから逃れようとするものです。苦しみを紛らわせるために,様々なことで心を満たそうとします。しかし,それで根本的な解決や平安が得られるわけではないのです。

2. 応えてくださる神
 「私に答えてください。」私たちは答えを求めます。この答えは「結果」です。しかし神が下さるのは,神の応答です。神を信じていても,神を見失う時があります。そこに,平安が失われる根本的な原因があります。神が揺らいだのではなく,私たち自身が揺らいでいるのです。私たちはどこに救いを求めようとしているのでしょうか。生ける神ではなく,「むなしい,まやかしのもの」ではないでしょうか。

3. 神のみ姿
 ここでダビデは,神のみ姿を心に映し出します。神は,必ずご自身の義を示す神であり,神を信じるものを特別に扱われるお方であるということ。そして,何よりも応えてくださる神であるということ。ダビデは自分が何をなすべてきかをはっきりと知ります。「静まれ。悔い改めよ。」私たちもまた,この一年の最後の時に,自分自身に語り掛けたいと思います。私たちの神はどのようなお方なのか?そして私たち自身にも命じたいのです。「静まれ。悔い改めよ。」

4. 与えられた平安
 ダビデに平安が与えられます。それは,目に見えるもの以上の喜びです。生ける義なる神,主だけが,私たちを安らかに住まわせてくださるのです。

[考えるために]
 私たちの信頼はどこに置かれているのでしょうか?
 それぞれの心に,神のみ姿を映し出させていただきましょう。

投稿者 mb-church : 10:22 | コメント (0) | トラックバック