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2006年12月07日

2006/12/3礼拝メッセージ

千葉も寒くなってきました。
それでも暖かい方なのでしょうが・・・。
皆様,風邪などひかぬよう,お気をつけください。

2006年12月3日のメッセージの要約です。
ルカの福音書9章51~56節
「御顔を上げられたイエス」

1. 御顔を上げられたイエス
 ガリラヤでの宣教活動を終え,いよいよイエスはエルサレムへと顔を向けられました。イエスが,ヨセフとマリアのもとに幼子として,この世に来られたのはなぜでしょうか?「神の国が近づいたことを宣言するため」「悔い改めをこの世界に促し,神に立ち返る者たちを起こすため」「人々を癒し,罪を赦し,神の救いを人々に告げ知らせるため」そのどれもがその理由に当たるでしょう。しかし,何よりも最大の目的は「十字架」でした。これこそイエスにしかできない働きだったのです。

2. イエスの決意
 イエスにしかできない働きである十字架へと向かうため,イエスは顔を上げられました。ここにイエスの決意の深さを見ることができます。しかし,多くの人々や弟子たちはそのイエスのみこころを理解していませんでした。イエスを拒んだサマリアの人々に対して,ヤコブとヨハネは「天から火を呼び下して,彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言います。ここでも,彼らは自分たちの正しさや力に頼み,イエスのこころを理解しようとはしていません。私たちもまた,自分たちの価値観やあり方を,自分の力ではなかなか捨てることができないのです。

3. 神の熱心
 私たちは,自分の力や知恵で歩めているかのように錯覚してしますものです。人々の不理解の中でも,イエスは顔を上げられ,あの十字架に向かわれました。私たちのどうしようもない愚かさ,罪深さ,弱さを知りながら,イエスは,それでも顔を上げられ,エルサレムへと向かわれたのです。私たちの救いの確かさは,私たちの力や知恵によるものではありません。私たちの救いは,唯この神の熱心さによらなければならないのです。

[考えるために]
 私たちの救いは何故,確かなものとなるのでしょうか?

投稿者 mb-church : 2006年12月07日 10:22

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