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2006年11月22日
2006/11/19礼拝メッセージ
2006年11月19日のメッセージの要約です。
ルカの福音書9章37~45節
「イエスの嘆き」
1. イエスの嘆き
イエスの栄光の姿が現されたすぐ次ぎの日。イエスは,再度,人々の前でその偉大なわざを示されました。しかし,この場面でイエスは焦燥感すら漂わせるような言葉を口にしています。「いつまでがまんしなくてはならないのでしょう―」なぜ,イエスはこのような嘆きを口にしたのでしょうか。既にイエスは,ガリラヤ伝道を通して,ご自身の姿を現し,みことばを語り,十字架の予告までしました。そして,その栄光の姿をはっきりと示されました。しかし,依然として,イエスと弟子たちの間には,大きなギャップがあったのです。
2. ひとり息子のいやし
そのような中で,弟子たちには癒すことのできなかった人がやってきます。弟子には人を癒すだけの力が足りなかったのでしょうか?イエスはこのように人々に言われます。「ああ不信仰な,曲がった今の世だ。」弟子たちが癒せなかったのは,力不足でも,信心が足りなかったからでもありません。それは,人々のみこころの不理解,さらには頑なさが原因だったのです。不信仰とは,神のみこころを正しく把握していないことからくるものなのです。
3. イエスのみこころ
イエスが考えておられる救いは,人々が考えるものとはまったく異なるものでした。もう一度イエスは,ご自身の歩まれる道を指し示しました。私たちの目には,愚かにも思える十字架の道。しかし,これこそ私たち自身から出てくるものではなく,神が与えてくださる救いの道なのです。イエスは救いを与えようとしておられる。しかし,私たち自身が頑なために,その恵みを受けられずにいるのです。私たちの救いは,主イエスのみ名にあるのです。
[考えるために]
「不信仰」はどこから来るのでしょうか?
投稿者 mb-church : 2006年11月22日 09:57
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