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2006年08月28日

2006/8/27礼拝メッセージ

2006年8月27日のメッセージの要約です。
ルカの福音書8章1~15節
「良い地」

1. 4つの土地
 イエスの宣教活動はさらに続きました。かし,神の国,そしてイエスご自身のことを耳にしたときの人々の反応はさまざまでした。その人々に対して,イエスはここでメッセージを語っています。あなた方は,4種類の土壌の内のどれか,というメッセージです。

2. 道端
 最初のたとえは道端です。周囲の人々,または現実の社会や世界の価値観によって,みことばがその人の中に響かない状況にある人のことです。みことばが語られたとしても,自分の罪を認めることができず,関係ないと思うならば,信仰の芽すら出ない状況となるのです。

3. 岩の上
 二番目は岩の上です。聖書を最初は受け入れ,信じるが,自分を変えようとは思わなかった人のことです。なので,自分に不都合な時,また試練がやってくると,信仰に立つことができなくなります。

4. いばらの中
 三番目はいばらの中です。信仰と同様に,その他のものも一緒に自分の中で大きな存在としてしまうことが,私たちにはできます。しかし,それらの順番を間違えてはなりません。私たちはいついかなる状態であったとしても,神のみ手があることを認めなくてはなりません。私たちが第一に覚えるのは,全能なる方に対する恐れ,信仰です。

5. 良い地
 最後は良い地です。これは,単なる道徳心ではありません。神の前における正しさ,良い心こそ「良い地」です。困難や試練に会うのは,かえって私たちが神の前に正しい歩みをしているから,とも言えます。しかし,私たちは神のみこころ,神の約束に立つことができます。神は必ずあなたを祝福すると約束しています。しかし,私たちはまず困難や苦難を通して,練られ,神との関係を整えられるのです。みことばを聞く者とならせていただきましょう。

[考えるために]
 あなたはどの土地でしょうか?
 イエスの言う正しさ,良い心とはなんでしょうか?

投稿者 mb-church : 10:07 | コメント (0) | トラックバック

2006年08月16日

夏期学校

いま,松原湖にいます。
昨日からKGKが主催する夏期学校に参加しています。
今年は何と講師として。
学生たちが,真剣に聖書に向かう姿に,こちらが教えられています。
金曜日までこのキャンプは続きます。
お祈りしていただければ感謝です。

投稿者 mb-church : 06:44 | コメント (1) | トラックバック

2006/8/13礼拝メッセージ

2006年8月13日のメッセージの要約です。
ルカの福音書7章36~50節
「多く赦された者」

1. ひとりの罪深い女性
 この女性が,どのような女性であったかは他に情報がありません。ただ分かるのは,周囲の人々から,忌み嫌われるような立場にあったということです。その女性が,パリサイ人の家で食卓に着いていたイエスのもとにきました。なぜ,この女性はイエスのもとにひざまずいたのでしょうか。

2. シモンの反応
 この女性は,自らの罪をイエスの前に悔い改め,神の赦しをいただこうと思い来たに違いありません。しかし,この家の主人であるパリサイ人シモンは,イエスに対して不満を抱きました。ある意味,彼は正直な男です。また,この考え方は,当時の常識的な考えでもあったことでしょう。

3. イエスの応答
 イエスはシモンにたとえを持って答えられました。それは,赦すものと赦された者との関係でした。そして,シモンに対して,実際にイエスご自身をどのように迎えたのかを問いました。ただの客人としてなのか,それともメシアとしてなのか。

4. 多く赦された者
 神の前には,どのような人であっても払いきれない負債があります。それは罪の負債です。誰一人としてその負債を払いきれる人はいません。しかし,その払いきれない物を,イエスの前に差し出したとき,イエスは代わりに支払ってくださいます。この女性は自分の罪深さを知る人でした。そして,イエスはその負債を帳消しにしてくださったのです。そして,イエスは「あなたの信仰が,あなたを救ったのです。安心して行きなさい」と,この女性を送り出されました。私たちもまたイエスによって多く赦された者の一人なのです。

〔考えるために〕
 あなたは神の前に罪人であることを認めるでしょうか?
 その罪の負債を誰が支払ってくださるのでしょうか?

投稿者 mb-church : 06:38 | コメント (0) | トラックバック

2006年08月07日

2006/8/6礼拝メッセージ

2006年8月6日のメッセージの要約です。
ルカの福音書7章24~35節
「あなたは何を見に行ったのか」

1. ヨハネの何を見たのか?
 ヨハネはいったい誰なのか。バプテスマのヨハネは,当時の人々の関心を集めていました。何かが起こるという期待感,神の国が近づいたとのメッセージ。そして,今,イエスの前にも集まりつつある人々に対し,イエスはかなり手厳しい言葉を投げかけます。あなたはヨハネの何を見たのか?風に揺れる葦,やわらかい着物,きらびやかな着物。それは,まるでバプテスマのヨハネとは異なる姿でした。しかし,人々はヨハネの言葉の本質を受け取ってはいなかったのです。

2. 「わたし」とは?
 ヨハネは「預言者よりもすぐれた者」「その人こそ,見よ,わたしは使いをあなたの前に遣わし,あなたの道を,あなたの前に備えさせよう」と聖書に書かれている人だと,イエスは言いました。この中の「わたし」とは,万軍の主,つまり神を指している言葉です。ここで,イエスはご自身を,神と等しい存在として示すと同時に,そのメシアを指し示す人物こそヨハネであると解き明かしています。

3. 神の国
 イエスによってもたらされる神の国は,イエスによって罪が赦され,神の前に義と認められる,そこから始まるものです。ヨハネは,血筋や地位や人の力ではなく,神の前に悔い改め,神に立ち返ることを解き明かしました。これだけのことが語られていたのに,当時の人々はそのメッセージの本質を受け取ってはいなかったのです。バプテスマのヨハネ,そしてイエス・キリストが目の前に来て,メッセージを語っているにも関らず,それを聞こうとはしない人々,見ようとはしない人々。しかし,イエスは,わたしのメッセージに耳を傾けなさい,そしてわたしを見なさい,と語っています。私たちも,自分の勝手な思いに留まらず,神のことばをまっすぐに受け取り,イエスを救い主として迎えましょう。

〔考えるために〕
 教会は何を明らかにすべきなのでしょうか?
 私たちはイエス様に何を見出すのでしょうか?

投稿者 mb-church : 08:27

2006/7/30礼拝メッセージ

2006年7月30日のメッセージの要約です。
ルカの福音書7章11~23節
「おいでになる方」

1. 問い
 とても大事な問いがあります。それは,バプテスマのヨハネが質問した問い「おいでになるはずの方は,あなたですか。それとも,私たちはほかの方を待つべきでしょうか」という問いです。この質問の前に,ルカは一つの出来事を記録しています。それがナインでの出来事でした。

2. 神と等しい方
 死人を生き返らせるというとてつもない奇跡が起こります。この出来事は人々にエリヤを思い起こさせました。しかし,ここでのイエスとエリヤとを比べると,大きな違いがあることが明らかになります。ここでもイエスはたった一言で,青年にいのちを戻します。イエスの一言で,悲しみが喜びへと変えられました。エリヤが神に願い求めたのとは異なり,イエスは確信に満ちた言動によって,この悲しみの状況を一変させます。ここでもイエスは神の権威を持つことを示しているのです。

3. バプテスマのヨハネ
 その場にいた群衆たちは,イエスを大預言者である言います。しかし,その時バプテスマのヨハネが再び登場するのです。彼は,ここでもその与えられた役割を果たします。それは,イエスがキリスト(メシア)であることを指示す役割です。彼は「おいでになるはずの方は,あなたですか」と問いかけます。ヨハネはイエスが単なる預言者ではなく,神が旧約において約束されたメシアであることを,人々の前に明らかにしようとしたのです。

4. つまずかない者
 イエスは「わたしにつまずかない者は幸いです」と言います。私たちがこの方の真の姿を捉え損ねるときに,つまずきは起こります。イエスは,私たちをただ打ちのめそうとしてこられたのではなく,私たちが神に立ち返り,罪の悲惨な状況から救われるために来てくださったのです。おいでになるはずの方は,この方以外にはないのです。

〔考えるために〕
 バプテスマのヨハネが示したことは何でしょうか?

投稿者 mb-church : 08:22