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2006年06月11日

2006/6/11礼拝メッセージ

2006年6月11日のメッセージの要約です。
ルカの福音書6章20~26より
「幸いな者,哀れな者」

1. 平地での説教
この箇所は山上の説教を彷彿させます。しかし,ここは山上ではありません。また,幾つかの違いもあります。当然,どちらも同じ説教者であるイエスが語っているわけですから,同じような内容であることは,不思議ではありません。むしろ,繰り返し,重要なことを,人々に伝えていたと考えることができるでしょう。ここでは,特にイエスは弟子たちに語りかけています。

2. 幸いな者,哀れな者
ここでは,幸いな者が4つあげられています。その一方で,哀れな者も4つあげられています。ここにも,ルカの福音書の特徴であるコントラストが見られます。5章でも,同様に二つの者が対比されていました。それは「正しい者」と「罪人」です。そして,この箇所の対比の中心は22節と26節です。つまり,人の子のため,つまりキリストの名のゆえに,私たちが苦難を通り,迫害を受けるそのとき,私たちは幸いである,と語られているのです。

3. キリストのゆえに
私たちは,キリストの真理に立ち,その義を求めるときに,この世とは異なるスケールを持つことになります。預言者たちもまた,神のみこころ,神の義を,人々に指し示す役割を与えられた人々でした。そのために,かえって人々からうとまれ,除外され,命の危険にさらされました。彼らは,イスラエルの民の中に巣くう偶像礼拝や,神を神としない生き方,偽りを告発したのです。私たちもまた,キリストの前に,二つの道を問われています。私たちは,まことの神を失い貧しい者,飢えた者,悲しむ者か,それとも,まことの神を失っているのにもかかわらず,富んでいる,満ち足りている,幸せだと,思い込んでいる哀れな者,そのどちらなのでしょうか?私たちが,変わらずに信頼を置くべき所は,まことの神,キリストなのです。

[考えるために]
 私たちが,もしキリスト抜きで生きるとしたら,どのような人生になるのでしょうか?

投稿者 mb-church : 2006年06月11日 16:44

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