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2006年04月01日

2006/4/2礼拝メッセージ

2006年4月2日の礼拝メッセージです。
ルカの福音書4章38~44より
「どうしても」

1. 助けを請う人々
 「黙れ」という一言で,イエスは悪霊につかれた人をいやしました。続いて,イエスはシモン(ペテロ)の家に向かいます。そこに到着するとペテロのしゅうとめが熱で苦しんでいました。あの権威を持ってすれば,このひどい高熱も何とかなるのではないかと人々が思うのは当然のことしょう。するとイエスは高熱をしかりつけられた,というのです。そして悪霊と同様に,高熱は退散し,女性はいやされました。

2. 人々の驚嘆
 この数時間のうちに起こった出来事は,人々を驚嘆させるには十分なものでした。日が暮れると,人々は,病人や悪霊につかれた人々をイエスの前へと連れてきました。救いを必要としている人々を,イエスのもとへと連れてくるという素朴な教会の姿を,ここに見ます。イエスは一人一人に手を置きいやされます。これこそ教会,伝道の原点と言えるでしょう。救いを必要としている一人一人を,イエスの前に連れて行き,イエスに手を置いていただくのです。

3. 群衆
 朝になると群衆がやって来ます。一人一人を連れてきた人々が,今度は群集となっておしよせてきました。彼らは,イエスが自分たちから離れていかないように,引きとめにきました。しかし,イエスはこのことをよしとはしませんでした。なぜならイエスは「どうしても」行かなくてはならなかったからです。イエスはただ現世的な幸福を与えに来たのではなく,神の国の福音を伝えるために来ました。何よりも私たちを救うために,どうしても十字架にまで向かわなくてはならなかったのです。キリストは,ただ一人の罪人のために来られたのです。

[考えるために]
 なぜイエスは「どうしても」と言ったのでしょうか?イエスが来られたのは誰のためですか?

投稿者 mb-church : 2006年04月01日 17:56

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