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2006年04月15日
2006/4/16礼拝メッセージ
2006年4月16日のイースター礼拝のメッセージです。
ルカの福音書5章12~16より
「死人にいのちを与える方」
1. 全身ツァラアトに冒された人
全身がツァラアトに冒された人。これは相当インパクトのある書き方です。現代のことばで直すとどうなるでしょうか。それは最も死に近い人,と言ってもいいでしょう。神に見捨てられた死。最も人々が嫌う死の姿がそこにありました。しかし,この人は,その姿を隠すことができませんでした。全身がツァラアトに冒されていたのですから。
2. 告白
そこに,イエス・キリストが来られました。彼は,ひれ伏してお願いします。「主よ。お心一つで,私をきよくしていただけます。」生きながら死んでいると言っても過言ではないこの人は,イエスを主と告白し,自分自身を明け渡します。いったいどのよう人が,神の前に義とされるのでしょうか。誰が真にいのちあるものなのでしょうか。この名前も記されない病の人に,イエス様は御手をのばされました。
3. 死者をよみがえらせる方
ツァラアトに冒された人を癒すということは,死者をよみがえらせるに等しいことです。全身が汚れていることは,誰が見ても分かることでしたが,さらにこの人は,自分の全てをイエスの前に投げ出しました。このような人こそ,神が義と認めてくださる人です。イエスは,彼に手を伸ばし,触れ,そして宣言されました。「私の心だ。きよくなれ」と。
4. 新しいいのちへ
私たちが自分の罪を認め,そしてキリストの前に全てをさらけ出し,ゆだねるときに,イエスの方から,私たちがきよめられることを望んでくださいます。この人は完全に癒されました。しかし,私たちに神が与えようとしているのは,単に病が癒されることではありません。神が望まれているのは,神を礼拝するものとして生きることです。この人に与えられたのは,ただの癒しではなく,救われた者として,神に感謝をささげて歩む生涯が開かれたのです。
[考えるために]
キリストが望まれているのはどのような態度でしょうか?
生きる死者であったこの人は,どのようにかえられたのでしょうか?
投稿者 mb-church : 2006年04月15日 16:48