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2006年02月21日

コンサート終わりました!

岩淵まことさんをお招きしてのハートフルコンサート,無事終了しました。
本当に心温まるコンサートでした。
演奏も,歌声も,トークも,そしてコンサートの構成も見事。
あの時間,あの空間・・・ちょっと遅めのバレンタインのプレゼントのようでした。
#ちょっと濃いチョコの味かもしれませんが(^^ゞ

普段,教会に来れない方も数多くお見えになり,本当に感謝な時となりました。
#とっても遠くから来てくれた方もいました。うれしかった!

バタバタしていたので,実は写真を取っていません!
どなたかデータを提供してくださいませ。
よろしくお願いいたします。
確か,コンサート運営委員長が確かとっていたな~

投稿者 mb-church : 21:45 | コメント (0) | トラックバック

2006年02月15日

コンサートのご案内-その3-

いよいよ今週です。
岩渕まことさんを迎えてのハートフルコンサート。
本当に楽しみです。

私が最初に岩渕まことさんの曲を耳にした(歌った)のは,大学生ぐらいだったでしょうか。
その後,教会で賛美をするうちに,岩渕さんの曲を選曲していることが多いことに気がつきました。
特に私はそのメロディーラインに惹かれました。
優しさと力強さが同居するそのメロディー。
また詞と見事に調和するこのメロディー。
ぜひ多くの方々に聴いていただきたいと思っています。

週末は寒いようですが,このコンサートで暖をとってください。
18日(土)13:30開場,14:00開演です。
それでは教会でお会いしましょう。

投稿者 mb-church : 20:52 | コメント (0) | トラックバック

2006年02月13日

2006/2/12礼拝メッセージ

2006年2月12日の礼拝メッセージです。
ルカの福音書3章21~22節より
「キリストのバプテスマ」

1. イエス,キリスト
 イエスがキリストたる所以は何でしょうか?それは,もちろん神であること,です。そしてそれと同様に重要なのは,正真正銘の人である,ということでしょう。だからこそ,キリストの歩みは,私たちの歩むべき模範でもあるのです。

2. キリストのバプテスマ
 イエスは,メシアとしての歩みをスタートさせるときに,ヨハネからバプテスマを受けることが,ふさわしいことであるとしたようです。それは,これからキリストのあゆまれる歩みが,十字架に向かい,人間の罪と死を乗り越える復活までの歩みであるという宣言でもあるでしょう。キリストご自身が,私たちの手本となって,バプテスマを受けてくださいました。そして,キリストは,バプテスマが示すとおりに歩んでくださったのです。

3. 私たちのバプテスマ
 バプテスマとはまず,悔い改めのしるしです。さらにそれは,キリストのいのちが,私のいのちとなることを私たちに確信させるものです。そして,バプテスマを受けた後の私たちのいのちは,キリストに全てならっていくのだ,ということも示します。そこにまた,神の祝福と守りがあることを,キリストのバプテスマに私たちは見ることができます。

4. キリストの祈り
 キリストは,バプテスマを受けたあと祈っておられました。そして,その祈りにともない,聖霊がそこにくだり,神の祝福が与えられました。これもまた,私たちがならうべきことです。私たちが祈るのは天の父であり,そして,その祈りは私たちのうちに働く「聖霊」に導かれます。私たちは,私たちの救い主であるキリストの祈りにあわせて祈りをささげることができるのです。キリストが受けられた神の祝福,その祝福を受け取る幸いな道へと,私たちも踏み出してまいりましょう。

[考えるために]
 なぜキリストはバプテスマを受けられたのでしょうか。

投稿者 mb-church : 22:39 | コメント (0) | トラックバック

2006年02月04日

2006/2/5礼拝メッセージ

2006年2月5日の礼拝メッセージです。
ルカの福音書3章15~20節より
「聖霊と火とのバプテスマ」

1. 水のバプテスマ
 ヨハネは「罪の悔い改め」のバプテスマを授けていました。バプテスマは,ユダヤ教の改宗の儀式であると言われています。しかし,ヨハネはキリストの授けるバプテスマが,これまでのものとは異なるということを示しました。

2. 聖霊のバプテスマ
 キリストのバプテスマは「聖霊と火とのバプテスマ」であるとヨハネは言います。キリストはバプテスマに新たな意味を与えました。このバプテスマには二つの側面があります。第一に,バプテスマには聖霊がともなう,ということです。私たちがイエスを救い主として信じて歩みだすとき,聖霊が与えられます。これは私たちに与えられた約束です。その聖霊は私たちをキリストの証人として導く方です。それは,もはや私たちが古い基準や動機で歩まなくて良いことを示しています。自分自身で自らを義とせず,神のみこころを求め,神の計画に生き,悔い改めにふさわしい実をならせてくださる方こそ,聖霊です。これはバプテスマを通して与えられる最大の特権です。

3. 火のバプテスマ
 バプテスマの第二の側面は「火」です。この火は,裁きの象徴です。私たちはキリストにおいて,明確に二つに分けられます。一方には,約束の聖霊がともない,もう一方は「火」です。赦しと裁きがそこにあります。「麦を倉に納める」とは,私たちが聖霊によって導かれていくということを示していますが,「殻を消えない火で焼き尽くされる」とは,裁きを示しているでしょう。神は,私たちに聖霊を与えようとしています。私たちは,いくら頑張っても自分を救うことはできません。あなたは,キリストが与えてくださる二つのうち,どれを受け取りたいのでしょうか?

[考えるために]
 私たちに与えられた特権とは何でしょうか?

投稿者 mb-church : 22:53 | コメント (0) | トラックバック

2006年02月01日

2006/1/29礼拝メッセージ

2006年1月29日の礼拝メッセージです。
ルカの福音書3章1~17節より。
「私たちはどうすればよいのか?」

1. 荒野の声
 神の計画が歴史を通して動きはじめました。バプテスマのヨハネが,再び表舞台へと登場してきます。ヨハネが語った神のことばとはなんでしょうか。それは,罪が赦されるための悔い改めに基づくバプテスマを説くこと,でした。

2. すべての人に
 ルカの福音書での焦点は,「あらゆる人が,神の救いを見るようになる」という点です。ヨハネを通して明確にされているのは,「救い」のメッセージそのものです。神は,どのような人を救いに導こうとしているのでしょうか。神の救いを見るのは「すべての人」です。そこには分け隔てはないのです。

3. 問題
 しかし,ここからが問題です。それではいったい誰がその救いを受け取ることができるのでしょうか。ヨハネは,ここで群集に語ります。「悔い改めにふさわしい実を結びなさい」と。ヨハネは,必ず来る神の裁きを宣告します。誰一人神の前に正しいものはいません。これは,人間の価値基準では計ることのできない問題です。私たちは神の前の自分の姿を直視しなくてはなりません。

4. どうすればいいのでしょうか?
 群集は「私たちはどうすればよいのでしょう」と聞きます。私たちにとって大事なことは,この姿です。私たちは,すぐに神への願いが先行してしまいます。しかし,まず神の前に,「いったいどうすればいいのでしょう?」とありのままで出なくてはなりません。そして,私たちはキリストを受け入れる準備をするのです。本当に私たちは,神の前に正しい歩みをしたい,そう心から願っているでしょうか。むなしい生き方から離れたいと思っているのでしょうか。それぞれの心を神の前に差し出しましょう。

[考えるために]
 イエス・キリストを迎える準備とは,いったい何でしょう。
 あなたの今,内にある願いは何でしょうか?

投稿者 mb-church : 09:35 | コメント (0) | トラックバック