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2006年01月16日
2006/1/15礼拝メッセージ
2006年1月15日の礼拝メッセージです。
ルカの福音書2章21~40節より。
「正しい人々」
1. シメオンとアンナ
バプテスマのヨハネがそうであったように,キリストもユダヤの慣習に従って育てられました。そして,このキリストの出発点に,シメオンとアンナという二人の老人が登場します。彼らは,キリストを待ち望んで生きてきた「正しい」人々でした。羊飼いに続いて,ここで用いられているのは,名もなき年老いた人々でした。
2. 「正しさ」
この名もなき人々がここに取り上げられているのは,その「正しさ」ゆえです。しかし,正しさと言っても,パリサイ人や律法学者たちとは異なる正しさです。それは,神のことばをどのように理解しているか,ということにかかっていました。彼らは,旧約聖書をまっすぐに受け止め,そして神を待ち望んできた人々の代表者です。彼らのこの姿,信仰は,旧約聖書をまっすぐに受け取るときに,実は,神のみこころ,神の救い,そしてキリストの意味をはっきりと受け取れることを物語っています。
3. 誰に与えられた救いか
シメオンが語っているように,この救いは,すべての民のためのものでした。イスラエルだけではなく,異邦人にまで及ぶ光です。しかし,当時の人々はこのようには考えていませんでした。その正しさは,名目上の血筋によるものであり,また,律法を自分たちの方法で守ることに固執してきた人々の正しさです。神を敬っているようでそうではない姿がここにあります。分たちで自分のことを救おうとする人々。また,自分たちで他の人々をすぐに裁いてしまう私たち。そして,そのことがキリストを前にしたときに問われます。私たちは,キリストの前に立ったときに,神の前の自分を映し出されるのです。私たちを救うのは,すべての人を照らすまことの光,キリストなのです。
[考えるために]
シメオンとアンナが示す正しさとは,どのようなものでしょうか。キリストの救いは誰のためのものでしょうか。
投稿者 mb-church : 2006年01月16日 09:02