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2005年12月31日
中高生winterキャンプ
今年も後,数時間。
年末に奉仕した奥多摩福音の家主催の中高生winterキャンプの報告をして,今年最後のエントリーとすることにしましょう。
奥多摩福音の家のキャンプで奉仕するのは,2回目。
メッセンジャーではなく,キャンプリーダーとしての奉仕でした。
今回のテーマはACT。
Act Christ's Teaching
ということで,知っているようでちゃんと知らない,キリストの教えを実践しよう!
ということをテーマとしました。
これまでにも様々なキャンプを企画してきましたが,
今回,まず最初に頭に浮かんだイメージはなぜか「学園祭」。
キャンパーたちが,この2泊3日の短い時間に,一つのことを作り上げていく過程を通じ,絆を深めて欲しい。
そして,自分で考え,人の意見を聞き,聖書に向き合うかけがえのない時を得て欲しい。
そう願い祈りつつプログラムを組みました。
そうして与えられた中心プログラムがこれ。
「A-1グランプリ!」
ACTには「演じる」という意味があります。
そこで,キリストの教えを実践する前に,実演してもらおうということで,
各グループに5~7分程度のスキット(寸劇)を,聖書を題材として,創作してもらいました。
その発表の場が「A-1グランプリ!」なのでした。
もちろん各賞も用意!
主演や助演の各賞,そして作品賞を目指して,みなさんにがんばってもらいました。
・・・相当に盛り上がりました。
こちらの考えをはるかに凌駕する出来栄えに,感心を通り越えて感動すら覚えたのでした。
#それ以上に笑いすぎてお腹が痛くなりましたが。
中学生も高校生も,それぞれが聖書と向き合い,それを形に出来たことは,よいチャレンジとなったことでしょう。
そして,何よりも,メッセンジャーのK師が,ACTの意味をさらにキャンパーたちに深く,そして鋭く問いかけてくださいました。
よりキリストのメッセージがリアルに迫ったのではないでしょうか。
途中,大きなハプニングが,一つ!ありましたが,すばらしいスタッフに恵まれて,奉仕をすることができ,感謝,感謝です。
みんなでこれからもACTしていきましょう。
それにしてもA-1グランプリの2回目はあるのでしょうか?

投稿者 mb-church : 17:04 | コメント (1) | トラックバック
2005年12月30日
最終回
このままでは年は越せません。
ようやく最終回。
最後までお付き合いくださってありがとうございます。
フィリピンから日本へと帰る朝。
関西組,関東組と出発の便が違う関係で,早朝のミッションホームでチームは解散です。
夢のような,でも夢ではない1週間。
それぞれに与えられた課題をしっかりと握り締め帰りたいと思います。
何か今でもあの時のフィリピンの空気が思い出されます。
あの空気を思い出しながら,祈り続けたい,そんな思いです。
最後に,みんなで祈りました。
本当によいチームでした。
こんなにも手のかからない,そう,ほっておけるメンバーもいないでしょう。
すばらしい出会いにただ感謝。
そして,私たちに与えられた地,日本に帰ることにしましょう。
フィリピンの兄弟姉妹たちが,自分の国を愛し,労し続けているように,
私たちも,自分の国に,そして人々に仕えていきましょう。
「これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかし。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ,来てください。」黙示録22:20
サラマ!アディヨス!!
投稿者 mb-church : 10:04 | コメント (0) | トラックバック
2005年12月25日
2005/12/25礼拝メッセージ
2005年12月25日の礼拝メッセージです。
今日はクリスマス礼拝でした。
多くの方々とともに礼拝をささげることができ,心から神様に感謝しています。
ルカの福音書2章1節から7節。
「人となった神」
1. イエスの誕生
マリヤは年の頃からいって10代。ヨセフも年若く社会的な立場はなかったことでしょう。そして,マリヤは妊娠します。そこに人口調査という命令がくだりました。身重な幼い妻をつれて,ナザレからベツレヘムへの旅を強いられます。臨月の妊婦を抱えて旅をするには過酷すぎる旅と言えるでしょう。そして,ようやくの思いでたどり着いたベツレヘムで待ち受けていたのは,「宿屋には彼らのいる場所がなかった」という現実でした。さらに,救い主が生まれたのは「飼い葉おけ」だったのです。
2. 救い主は,どこにやって来たのか?
「宿屋には彼らのいる場所がなかった。」 これが,私たちを救うと預言された方の置かれた状況です。イエスが生まれたのは,あの葬られた墓と同じような場所でした。薄暗く,何もない,冷たい岩や土の上。人を救うと約束された方は,まったく人の目につかない,誰も気がつきはしない,そんな場所にお生まれになりました。このイエスが,この赤子が,なぜ,私たちの救い主になりえるでしょうか。
3. 我らを救う方
何の権威もなく,富もなく,確かなものなどない状態で生まれたイエス。だからこそ,私たちは確信することができます。この方だからこそ,私たちの罪をあがない,この暗い世界の光となることができる!私たちの本当の現実は,神から離れ,暗く,決して誰にもみせることのできないものでしょう。しかし,私たちを救う方は,まさにその真っ只中に来られたのです。ですから,キリストは誰も目もとめない,隠された場所,冷たく,そして卑しく,蔑まれた飼い葉おけに生まれてくださったのです。イエスが来られたのは,私たちを神から引き離す罪を打ち滅ぼすために来られました。イエスが生まれた飼葉おけこそ,私たちのすぐそばに来られたことの最大の証なのです。
[考えるために]
イエス・キリストはどこに来られたのでしょうか?
私のために来られたイエス・キリストに,もう一度心から感謝しましょう。
投稿者 mb-church : 15:11 | コメント (0) | トラックバック
2005年12月18日
キッズクリスマス!
昨日17日,午後1時からキッズクリスマス会が開催されました。
20名ほどのこどもたちが集い,ともにクリスマスをお祝いしました。
賛美とゲーム!そして工作とケーキ!!
こどももおとなも大満足の1日でした。
こどもたちが心から安心して集い,そして心豊かにすごせる場所として,教会があるのだな~と実感。
本当に楽しいひと時でした。
スタッフの,この1ヶ月半の練習の成果である「たいせつなきみ」の人形劇も大好評!
残念ながらビデオ撮影はしていませんが,次週の日曜日のクリスマスランチのときに再演する予定です。見逃した方は,ぜひご覧ください。
投稿者 mb-church : 14:42 | コメント (0) | トラックバック
2005/12/18礼拝メッセージ
2005年12月18日の真砂バプテスト教会の礼拝メッセージの要約です。
「時が満ちて」
ルカの福音書1:57~80より
1. 救い主の到来
とうとう,バプテスマのヨハネは誕生しました。「月が満ちて」と書かれています。まさにすべての時が満ちる瞬間が訪れようとしていました。これはすばらしい幕開けの言葉です。まずみ使いの予告どおりに,キリストを指し示すヨハネの誕生をついに迎えます。
2. ヨハネの指し示したこと
キリスト以上に注目を浴びてヨハネは誕生しました。その父,ザカリヤはヨハネの誕生の際に,こう預言しました。これから生まれる方は,「救い主」であると。それでは,その方は何から私たちを救ってくださるのでしょうか。私たちの敵,憎むべきものとはいったい何を意味しているのでしょうか。
3. 真の敵
皆さんにとって敵とはいったいなんでしょうか?人でしょうか?社会でしょうか?私たちは,単純に自分をよい方に位置づけ,自分に相対する人やものを,敵に仕立て上げます。しかし,私たちの真の敵とは,人間が持ってしまった「暗黒と死」にほかなりません。私たちの誰にでもある暗黒,闇,暗い部分。そして,すべての人には,死が待ち構えています。私たちが打ち滅ぼすべき真の敵は,死であり,その死を招く,私たちのうちにある罪です。
4. 救いとは
私たちは,その敵を自分の力で打ち破ることができるのでしょうか。私たちは自分の力では,この敵を打ち滅ぼすことはできません。それには,神のあわれみが必要なのです。そして,そのあわれみの光こそ,ヨハネが指し示すお方,イエス・キリストなのです。神のあわれみ,ひかり,そして救いこそ,このイエスによって私たちに与えられるものなのです。
[考えるために]
私たちの真の敵とは何でしょうか?私たちはその敵にどのようにしたら打ち勝つことができるのでしょうか?
投稿者 mb-church : 14:37 | コメント (0) | トラックバック
2005年12月11日
2005/12/11礼拝メッセージ
2005年12月11日の真砂バプテスト教会の礼拝メッセージの要約です。
「マリヤの賛美」
ルカの福音書1:39~56より
1. マリヤの賛美
「マリヤは言った」とあります。実際に,マリヤがすぐにこの賛美を歌ったのかはわかりません。この滞在期間中にこの賛美を歌った,とも考えられます。マリヤは,この驚くべきみ告げをどのように受け止めていったのでしょうか。神を信じている。それでもなお,私たちは不安を感じ,思い悩むことがあります。この賛美を通して,マリヤがいかに神をほめたたえるに至ったかを知ることができるでしょう。
2. このはしために
マリヤは,何よりもまず,自分が「卑しいはしため」であると告白しています。このような小さな者に,大いなる神のご計画が及んでいるということ。彼女が頼りにできるのは「神」のみでした。そのことを,マリヤは旧約聖書のことばや信仰者の姿からよく教えられ,理解していったようです。マリヤが,ここで確信したのは,小さな自分に臨む,大いなる神のことば,神のご計画でした。
3. 友の存在
そして,さらにエリサベツの存在がありました。頼りになる信仰の友の存在は,私たちの信仰生活にかかすことができません。私たちがいかなる時にも信頼しうるのは聖書のことばです。そして,さらに励まし支えるために与えられている信仰の友が,私たちには備えられているのです。
4. みこころへの理解
マリヤはひとつの確信を得ます。それは,心の高ぶるものを神は退け,低いものを高く引き上げるのだということです。マリヤは自分の身になぜこのようなことが起きたのかをよく考え,祈ったことでしょう。そして確信したのは,自分のような弱い者を通して,神の力強い救いが現されていくということでした。神の救いは,自らを高くするもの,自らを正しいとするもののところにではなく,自らを低く,そして,神の前にへりくだる者のところにこられるのです。
[考えるために]
私たちは神の前でいかなる者でしょうか?
私たちに与えられている約束,助けは何でしょうか?
投稿者 mb-church : 22:12 | コメント (0) | トラックバック
2005年12月09日
クリスマスの予定!
真砂バプテスト教会のクリスマスの予定をお伝えします。
まずは,キッズクリスマス!
12/17(土)13:00からスタート。
小学生以下の子供たちが対象です。
今年は,人形劇「たいせつなきみ」を上演します。お楽しみに!!
12/24(土)18:30からはイブ礼拝です。
キャンドルの灯火の中,聖書を開き,クリスマスの出来事に思いを向けてまいりましょう。
どなたでもご来場ください。
そして,今年の25日クリスマスは日曜日!!
クリスマス礼拝は10:00からです。
礼拝の後には,教会でクリスマスランチをご一緒にいかがでしょうか?
こちらも,どなたでもご来場ください。
歓迎いたします。
よいクリスマスシーズンをお過ごしください。
投稿者 mb-church : 17:02 | コメント (0) | トラックバック
最後の夜
さあ,やっと最後の夜のことにたどりつきました。
フィリピンでの最後の夜。
それは,私たちがフィリピンに降り立った日と同じ火曜日の夜でした。
ということは・・・
そう,この日の夜は海外宣教のために祈る祈祷会の日。
何か振り出しに戻ったかのような錯覚を覚えました。
今日見た,あの家庭。
その前の日に見たあの家。
バプテスマ式。
こどもたち。
山の教会。
確かに私たちは多くのことを見せていただきましたが,
ここに住んでいる人々にとっては,それは日常なのです。
そして,今日はまたいつもの火曜日の夜。
マンダウェのこの教会のこの場所で,みんなで心をあわせて祈るのです。
ツアーの最後ということで,みなさんの前で挨拶をさせていただきました。
このツアーで一番に感じたこと,それは,それぞれに神様から与えられた生きる場所があって,
それぞれがその場所で,与えられた使命を果たすのだということ。
そして,私たちは仲間であり,そして,何よりも家族なのだということ。
私も日本という場所で,なすべきことが与えられている。
現実を前にするときに,悲観的な思いにとらわれてしまうこともある。
しかし,期待と希望を持って歩んでいこう。
こんなことを感謝を持って,お伝えしました。
そして,また私たちは,教会の皆さんにお祈りしていただいたのでした。
これこそ一番うれしい体験だったな~と思うわけです。
こうしてフィリピンでの最後の夜は過ぎていくのでした。
投稿者 mb-church : 16:47 | コメント (0) | トラックバック
2005年12月04日
2005/12/4礼拝メッセージ
2005年12月4日の真砂バプテスト教会の礼拝メッセージの要約です。
「驚くべき祝福」
ルカの福音書1:26~38より
1. コントラスト
いよいよキリストの誕生へと話は進みます。ルカはコントラストの効いた聖書記者です。そのコントラストは,人と人の対比ではありません。神と人とのコントラストといったほうが適切です。神の考えと人の考えの違い。それこそが,私たちがまず知らなくてはならないことです。ここでも私たちの考えと神の考えの違いを見ることができます。
2. 乙女マリヤへのお告げ
乙女マリヤへの驚くべき知らせは,バプテスマのヨハネの予告以上のものでした。年端のいかない片田舎の少女。そしてダビデの家系であったヨセフの婚約者。そこに御使いが来て,あなたの胎に救い主が宿ると告げられます。これを信じるのは難しいことです。このような微かな印。それがキリストの誕生の始まりです。神の計画は,決して人の価値観や,人の決定に従うものではないのです。
3. 大きな困難の予感と祝福
取るに足りない一人の少女に神は目を留めました。これから持ち受けている困難は目に見えています。しかし,御使いは祝福のことばをマリヤに告げます。なぜこのことが祝福となるのでしょうか。ここで,神はマリヤに「あなたがこの子をキリストに育て上げなさい」などとは言いませんでした。神は,最初から生まれるこどもはキリストであり,神ご自身が,その子に王位を与えると語られています。さらには,聖霊があなたに臨むのだという約束,そしてエリサベツのことを告げます。これから起こるであろう困難さや重圧はあったかもしれません。しかし,それ以上に,神のことばの確かさが,マリヤに迫ってきたのです。ここでも,神が,聖霊が,そしてキリストが,人に先立って働かれる姿を,私たちは見出すことができるのです。
[考えるために]
私たちもマリヤと同じ信仰の告白してまいりましょう。
「ほんとうに,私は主のはしためです。どうぞ,あなたのおことばどおりこの身になりますように。」
投稿者 mb-church : 00:24 | コメント (0) | トラックバック
2005年12月01日
宿題
最後の午後。
私たちは,あるご家庭を訪問しました。
その家は・・・
その家はドブの上に建てられていました。
その家にも驚きつつ中に入ると,私たちを出迎えてくれたのは,その家のご主人でした。
そのご主人は横になっていました。
彼は病を負っていました。
その手足の関節はこぶとなり,見るも無惨な状態・・・
片方の腕は切断されていました。
ツアーメンバーのTさんは医者です。
彼の患部をさわり,その病状を説明してくれました。
通風。
その痛みは,刃物を隠さないと自殺すると言われているくらい,痛いものだそうです。
もうその足もふくれあがり,おそらく切断するしか方法はない・・・
しかし,彼はそれでも,足を切り落としたくないと言っていました。
なぜなら,二度と歩くことはできないから。
一家6人。こどもたちがいます。
現在,家計を支えているのは,彼の奥様です。
この日も,この家にはいませんでした。
日本だったら,ここまでひどくはならないとのこと。
なぜなら,ひどくなる前に治療がなされるから,だそうです。
彼らには治療のためのお金がないのです。
それでも彼らは信仰を持ち,そこに希望をおいています。
この家でも,家庭集会が開かれているそうです。
私たちは,ただただ彼に手を置き,祈ることしかできませんでした。
私たちは,彼を救いたいと思います。
誰が悪いのか,とも思います。
彼らにはお金がないので,満足に教育も受けられず,
やはりその貧しさに留まらざるをえない。
無力,無力,無力・・・
しかし,希望はあります。ここにも関わっているフィリピンの教会,クリスチャンたちです。
このような中でも,福音の希望を伝え,そして実際に愛を示し続けている。
本当に彼らのことを祈らずにはいられない,そんな思いにさせられました。
そう,今,彼らのためにまた祈ろうと思います。
神の国がここにも来ますように,と。