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2005年11月12日

2005/11/13礼拝メッセージ

2005年11月13日の真砂バプテスト教会の礼拝メッセージの要約です。
「生きることはキリスト」
ピリピ人への手紙1:20~26より

1. 人生の障害
 私たちの人生には,うまくいかないことがおきてきます。それを私たちはどのように受けとめているでしょうか?私たちは,この肉体の死が訪れるその時まで,その困難と向き合っていかなくてはなりません。なぜ困難があるのでしょうか?

2. クリスチャンの確信
 神を信じていても困難な状況は変わりありません。しかし,クリスチャンはこのような確信をもつことができます。「私にとっては,生きることはキリスト,死ぬことも益です。」パウロの状況はいかなるものであったのでしょうか。恐らく「砂をかむような思い」を持っていたことでしょう。しかし,パウロはそれでもなお,神が働かれているということ,福音が宣べ伝えられていること,そこに目をとめることができたのです。

3. なぜこのようなことが?
 なぜこのように信じることができたのでしょうか。その鍵は「キリスト」にあります。1章でパウロは何度も「キリスト」という言葉を用いています。困難や苦難は「キリスト」を通してでなければ理解することはできません。キリストは,私たちのすべての罪,咎,罰を受けてくださいました。私たちの全ての弱さ,欠け,そして困難をも受けてくださったのです。私たちの前には依然として困難や罪,弱さがあります。しかし,それはもはや敗北ではありません。キリストの十字架以降,悲しみは喜びに,死は永遠のいのちへと続く扉となったのです。

4. どんな場合にも
 パウロの状況は,ただ投獄されて身動きがとれないというものではありませんでした。そこには死の危険も当然ありました。しかし,彼は知っていたのです。キリストを信じる者が,困難や苦しみにあうとき,そして死に面したとき,そこに希望といのちを与えられるキリストがはっきりと示されることを。私たちが苦しみを通されるのは,このキリストと出会うため,このキリストが示されるためなのです。キリストの十字架,キリストのいのちを信じるときに,すべてが変えられていくのです。

[考えるために]
 どんな時でも希望を失うことのない生涯の鍵は何でしょうか?

投稿者 mb-church : 2005年11月12日 17:28