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2005年11月27日

2005/11/27礼拝メッセージ

2005年11月27日の真砂バプテスト教会の礼拝メッセージの要約です。
「アドヴェント」
ルカの福音書1:5~25より

1. その時は・・・
 時は,ユダヤの王ヘロデの時代。これが本文のスタートです。ルカがこれから試みようとしていることは,旧約聖書の預言を成就した方,キリストの正確な事実を順序だてて記すことです。その最初の記事は,「バプテスマのヨハネ」の誕生でした。

2. キリストを指し示す印
 ルカはキリストを指し示す確かな印として,旧約聖書の預言である「荒野で叫ぶ声」であったバプテスマのヨハネに注目します。さらにルカは,このことが確かな歴史上の出来事であったことを,その出生から辿っていくのです。そしてそこに,小さな名もなき人々に臨んだ大きな神の御手を見ることになるのです。

3. ザカリヤとエリサベツ
 ザカリヤとエリサベツ,この老夫婦の子供が,バプテスマのヨハネでした。この二人は,神の御前に正しく,すべての戒めと定めを批判されることなく行っていました。しかし,彼らには子供が与えられませんでした。神の前では恥を受けるところのない二人が,人々の前では恥を受けていたのです。しかし,いかなる現実があろうとも,彼らは神の前に忠実に歩んできた夫婦でした。その夫婦に神はヨハネをお与えになります。かならず神のことばは,時が来れば実現することを人々に深く刻みこんだのです。

4. この出来事から
 ここから,私たちは,まず第一に「神の時がある」ということを覚えることができます。この時,この人に,この場所で。人間には時ではないように見える時であっても,神にとっては時だったのです。そして第二に「時を実現する人々は,神の前に正しい人々である」ということです。人の前ではなく,神の前に忠実な人々を,神は覚えてくださり,そして神は用いてくださるのです。

[祈り]
 神の時を忠実に待つ者とならせてください。

投稿者 mb-church : 18:15 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月25日

最終日

いよいよ,フィリピンで過ごす最後の日となりました。
私たちはこの日,セブのちょっとした観光をしに出かけました。

ボーイ先生に連れられて,私たちはセブの高台へと向かいました。
ここからセブの町を一望することができます。
ということでパチリと記念撮影。

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みんな良い顔をしています。
#でもちょっと疲れているかな?

この後,私たちはお土産を求め,セブの中心にあるシューマートへ。
ここは本当に大きい!というかデカイ!!
もともとはその名の通り,靴屋だったそうですが,今では巨大なショッピングモールです。
結構中をまわると疲れます。
私も家で待つこどもたち&妻へのお土産を購入しました。
ここでI牧師は何と靴を購入。
店員たちと訳のわからない会話を繰り広げ,ここでもみなを爆笑の渦に巻き込んだのでした。
 
 
 
 
この日の昼食は,シーフード。
空港のあるマクタン島へ渡り,選んだ魚介類を調理してくれる海の見えるお店で食べました。
シーフードに目がないドクトールTさんは,かなり気合が入っている,ように見えましたが,
お味はいかがだったでしょうか?
日本では見かけない色の魚たちではありました。

食後,レストランのすぐそばにある,マゼラン記念碑を見学。

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そしてラプラプ像の前で,お約束の写真をとったのでした。

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投稿者 mb-church : 12:28 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月20日

2005/11/20礼拝メッセージ

2005年11月20日の真砂バプテスト教会の礼拝メッセージの要約です。
「すでに教えられたこと」
ルカの福音書1:1~4より

1. ルカの福音書
 ルカはパウロの宣教に同行していたと考えられています。使徒の働きもまたルカが記したものです。教会はすでにスタートしていました。そのような中で,彼はこの福音書,そして使徒の働きを書こうと決意したのです。

2. すでに確信されていること
 すでに確信されている,成就したこととは,もちろんキリストご自身のことでしょう。旧約聖書で預言され,救いを達成したイエス・キリスト。そのキリストについて,すでに多くの人がそれを記事にし,伝えていたことが分かります。しかし,あえてルカはもう一度,それらのものを整理し,そして順序だてて書き記す必要を感じていました。キリストはただの伝説ではない。そうではなく,実際にこの歴史のただ中に存在し,私たちと同様に生き,そして十字架にかかり死なれた。そして復活された。彼は歴史を強く意識しています。

3. テオピロへ
 歴史に生きたキリストを,何とか多くの人々に伝えたい・・・。それでは,ルカは誰にあててこの福音書を書いたのでしょうか。テオピロが実在した人物かどうかは多くの議論がなされてきました。テオピロという語が,「神の友」「神を愛する人」という意味であることから,クリスチャンを指しているという説もあるようです。いずれにせよ,この福音書はキリストを知っている,信じている人々に対して,もう一度,キリストを伝えようとしています。なぜその必要があったのでしょうか?

4. 知っていただきたいこと
 すでに教えを受け,信仰の歩みをしていた人々に対して,キリストが事実であり,それが真実であることを知って欲しいとルカは願っています。ルカはもう一度,私たちの信仰の土台は何であるかを伝えようとしているのです。私たちの信仰は,キリストの事実,キリストの真実の上に建てられるのです。どれだけ,私たちは,キリストご自身のことを知っているのでしょうか?

[祈り]
 「私に,イエス・キリストをよくわからせてください。あなたの真実を私に教えてください。」

投稿者 mb-church : 08:24 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月19日

労働の後は・・・

フィリピンツアー,何とか年内にまとめたいと思います・・・。
と,いうことで,労働の後,私たちは今晩開催されるというセルグループにおじゃますることになりました。
外はもう暗くなっています。
私たちは狭い路地を通りぬけ,とあるお宅へとたどり着きました。

またまたお宅拝見です。

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このお宅の娘さんは,日本へ出稼ぎに行っているとのこと。
家具などがちょっと豪華です。

今日は,このお宅のご主人がお証をしてくださいました。
#そして私もちょこっと証しました。

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が,しかし!
ご主人がしゃべろうとすると,後ろから奥様がすかさずつっこみを入れるのです。
それが頻繁に続き,ついには奥様がしゃべることに。
どうもご主人は奥様には頭があがらないご様子。
大きな体がどんどん小さくなっていくようでした。
#う~ん,どこの国でも・・・

そして,証の後は,再びパストール登場!
今日のメッセージは,ブランコのお話。

知的な障害のある人たちの施設でのお話です。
算数を教えようと先生がこんな話をしました。
「皆さん。ブランコが三個あります。」
うん,うん。
「そこに四人のこどもが来ました。」
うん,うん。
「ブランコは足りるでしょうか?」

そこである男の子が答えました。
「足りるよ!」
「なぜ?足りないでしょ?」
先生は聞きました?

「順番にのればいいよ!」
「僕は乗らない。だから足りるよ!」

そこで先生は,今度は傘3本で話を続けました。
また4人のこどもです。
「今度はどう?」
再びこどもたちはこう答えたそうです。

「足りるよ!二人で入ったらいいよ!!」

 
 
和歌山のI先生は,田原師を通訳に,いつもの関西弁でこの話をおもしろおかしく語ってくださいました。
それはもう新○劇!みな大笑い。おなかを抱えて笑い転げていました。

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あれっ?そういえばこの時のメッセージ,どこの聖書箇所だったっけ・・・??

心地よい労働の疲れの中,この夜はぐっすりと眠った一同でした。

投稿者 mb-church : 14:26 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月16日

う~ん

エントリーが滞っています。
すみません。
先週はCPIカンファレンス,そしてそのまた前の週はグループの総会などで,更新できませんでした。
何とか細々と更新していきますので,よろしくお願いします。

午前中は,水曜日の集会でした。
今日は「99匹を荒野に残していくキリスト」(なんて逆説的!)ということで,ルカの福音書から分ち合いました。
始めて来た方もいて,なかなかよい集会でしたよ。
もし,お時間のある方はぜひどうぞ。

投稿者 mb-church : 12:49 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月12日

2005/11/13礼拝メッセージ

2005年11月13日の真砂バプテスト教会の礼拝メッセージの要約です。
「生きることはキリスト」
ピリピ人への手紙1:20~26より

1. 人生の障害
 私たちの人生には,うまくいかないことがおきてきます。それを私たちはどのように受けとめているでしょうか?私たちは,この肉体の死が訪れるその時まで,その困難と向き合っていかなくてはなりません。なぜ困難があるのでしょうか?

2. クリスチャンの確信
 神を信じていても困難な状況は変わりありません。しかし,クリスチャンはこのような確信をもつことができます。「私にとっては,生きることはキリスト,死ぬことも益です。」パウロの状況はいかなるものであったのでしょうか。恐らく「砂をかむような思い」を持っていたことでしょう。しかし,パウロはそれでもなお,神が働かれているということ,福音が宣べ伝えられていること,そこに目をとめることができたのです。

3. なぜこのようなことが?
 なぜこのように信じることができたのでしょうか。その鍵は「キリスト」にあります。1章でパウロは何度も「キリスト」という言葉を用いています。困難や苦難は「キリスト」を通してでなければ理解することはできません。キリストは,私たちのすべての罪,咎,罰を受けてくださいました。私たちの全ての弱さ,欠け,そして困難をも受けてくださったのです。私たちの前には依然として困難や罪,弱さがあります。しかし,それはもはや敗北ではありません。キリストの十字架以降,悲しみは喜びに,死は永遠のいのちへと続く扉となったのです。

4. どんな場合にも
 パウロの状況は,ただ投獄されて身動きがとれないというものではありませんでした。そこには死の危険も当然ありました。しかし,彼は知っていたのです。キリストを信じる者が,困難や苦しみにあうとき,そして死に面したとき,そこに希望といのちを与えられるキリストがはっきりと示されることを。私たちが苦しみを通されるのは,このキリストと出会うため,このキリストが示されるためなのです。キリストの十字架,キリストのいのちを信じるときに,すべてが変えられていくのです。

[考えるために]
 どんな時でも希望を失うことのない生涯の鍵は何でしょうか?

投稿者 mb-church : 17:28

2005年11月08日

ネヘミヤプロジェクト?

ツアーも終盤。
参加者念願の肉体労働をしました。
と,いうのも・・・

当初の予定では,肉体労働がメインのプログラムであったのですが,
参加者の年齢が思いのほか高く(失礼!),急遽プログラムを視察中心のものに変更しました。
が,みなさん,来る前に,教会で「いっぱい働いてくる!」と宣言してきたとのこと。
働いている証拠写真を残さなくては帰れない!と,いうことで,お仕事をいただきました。

そのお仕事とは,マンダウェ教会の新規取得の土地のフェンス建設!
おお~これこそネヘミヤプロジェクト!壁建設!!

ということで,やってまいりました。その土地。
見てくださいこの建物。

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工場の跡地を建物ごと買い取ったそうです。
これを今後改修し,マンダウェの教会と学校にするということです。
すごいプロジェクトです。
今後の資金などの課題は山積しているようですが,きっと乗り越えることができるでしょう。
お祈りしています。

そして,私たちは,この壁づくりに励みました。

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幸い日差しは雲に遮られていて大した事はありませんでしたが,
さすがに暑い。
ぬかるみに足をとられながら,セメントと泥水をまぜ,そしてブロックを積み上げます。

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ほんの少しの時間でしたが,日本から来た5人のメンバーは,黙々と働いたのです。
きっと,そのときだけ作業のスピードが日本タイムになったのではないでしょうか。
この壁が出来上がり,この広い敷地でこどもたちが走り回り,そして教会に人々が続々と集う,
そんなことを私たちも夢見ながら,ともに作業できたことはとても感謝でした。

短い時間でしたが,力いっぱい働きました。
・・・ほんとですよ!ねっみなさん。

私たちが手伝った壁が,真っ先に崩れないことを祈りつつ,
いや崩れたら,さらにその先の土地が教会となることを祈りつつ,
この夢と希望がつまった場所を後にしたのでした。

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投稿者 mb-church : 10:32

2005年11月05日

2005/11/6礼拝メッセージ

2005年11月6日の真砂バプテスト教会の礼拝メッセージの要約です。
「喜びの秘訣」
ピリピ人への手紙1:12~21より

1. 「喜びの手紙」
 パウロが,唯一経済的支援を受けていた教会が,このピリピ教会と言われています。この手紙には「喜び」という言葉が数多く出てきます。今日のテーマは「喜び続ける秘訣」。この秘訣が分かれば,どんなに素晴らしいことでしょうか。聖書には喜ぶことのできた人が登場します。喜びを持ち続けることのできた人の一人はこのパウロでした。

2. パウロの今
 パウロは「私は今喜んでいる」と語っています。パウロの今は牢屋の中でした。そして,その状況の中,周囲の反応は二つでした。一方の人々は、ねたみや争いが心を支配していました。また一方は善意、愛を動機・モチベーションとしてキリストを宣べ伝える人々がいたと言っています。パウロはこのような人々がいることを牢獄の中で耳にしました。これを聞いたパウロの心中はおだやかなものではなかったことでしょう。

3. パウロの目線
 しかし、パウロの目は別のものを見ていました。それはこのような状況の中でも,イエス・キリストが宣べ伝えられているという現実でした。たとえ自分は身動きが取れなくても,牢獄の中にいようとも,身内のなかに敵対する者がいたとしても,イエス・キリストが宣べ伝えられているという現実。この現実こそパウロの「今」の喜びにつながっているのです。

4. 二つのこと
 喜びを持ち続けているパウロから2つのことを確認しましょう。まず一つは,「主のみ手にゆだねる」ということ。「わたし」の手にゆだねるのではなく,主の手にゆだねるときに,いかなる現状を前にしても喜びは失われることはありません。そしてもう一点。それは何を喜びとしているか,ということ。パウロにとっては,「キリストが述べ伝えられる」ということが第一でした。自らを喜ばせることが第一であるときに,容易に私たちの喜びは失われることでしょう。私たちもパウロの姿から,喜び続けることのできる生涯へと歩ませていただきましょう。

[考えるために]
 喜びを持ち続ける生涯を歩んでいるでしょうか?

投稿者 mb-church : 17:58