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2005年09月25日
2005/9/25礼拝メッセージ
2005年9月25日の真砂バプテスト教会の礼拝メッセージの要約です。
「幸いな人」
詩篇1篇より
1. 詩篇を詠む
詩篇は「詩」です。韻を踏み,対句や反復,比喩などの詩の技法を随所に見ることができます。詩篇1篇もとても美しい詩の形式をとっています。日本語で読む時にも,詩篇が詩であることを意識し,深く味わいましょう。
2. 幸いな人
この詩篇は,最初の3節,次の2節,最後の1節という3つのパートに分けることができます。最初の3節では「幸いな人」について歌われています。幸いな人とは,悪者,罪人,あざける者ではありません。本当に幸いな人とは,「主のおしえを喜びとし、そのおしえを口ずさむ」人のことであると歌い手は言います。その人はまるで水路のそばに植わった木のようだ,と歌われています。
3. 悪者の姿
それと対極的に描かれるのが悪者の姿です。それはまるで「もみがら」です。神のことばを持たず,神の思いを知らず生きる姿。それはおろかな人間の姿そのものです。私たちは神の被造物であり,神が私たちを覚えてくださらなければ,私たちの歩みなど「もみがら」にすぎないということを私たちは心に覚えるべきです。
4. 幸いな歩みへ
歌い手は,この詩を実感を込めて詠んだことでしょう。彼自身が,これまでの歩みを振り返った時,そこに神の恵みが満ち溢れていたことを実感したことでしょう。単なるラッキーでもなく,またアンラッキーでもない。そうではなく,自分の生涯に神を認め,語りかけてくださる神に耳を傾ける姿がこの詩篇にはあります。もみがらのような者であった自分が,神のみことばにより,水路に植わった木のようになる。神は,信じる者の道を知っていてくださり,私たちを幸いな歩みへと導きいれてくださるのです。
[考えるために]
あなたの歩みは水路のそばの木のようでしょうか。それとももみがらのようでしょうか?
投稿者 mb-church : 2005年09月25日 08:08
コメント
皆様、お変わりなくお過ごしでしょうか? たった今、ADSL回線を設置してもらい、これでやっと快適なメール送信ができるとお便りしました。ご連絡が遅くなり、失礼しました。
上海に来て1ヶ月が経過し、やっと生活のペース・体調・気持ちが安定してきましたよ。着いたばかりは、暑さと、疲れまた新しい地での緊張で、私と秀一郎はおなかの具合を悪くしてしまいました。でも今はとっても元気になりましたので、どうぞご安心ください。
上海の生活
1 思っていた以上に物が豊富にあり、しかも日本より安いのです。文具品や化粧品シャンプー洗剤などが心配で買い揃えてきたのに・・。
2 車の運転には、驚きました。住居が郊外なので、主な交通手段が、マンションのシャトルバスか、タクシーを使います。右へ左へ車線変更、空いてるスペースがあればすぐに割りみ、信号はあるにはありますが、自転車もバイクもみんな一緒に走るのです。横を見ると、もうすれすれに自転車が走り、それをどかすのにクラクションを鳴らし、とてもリラックスしては乗っていられませんよ。
道を渡るのは、至難の業。目と耳と音、五感を働かせ、さっさと渡る。音もなく通る自転車が一番危ない!
3 上海日本人学校の児童数が、小中合わせて、2100人を越え、アジア一の規模になりました。この国慶節明けには更に増える見込み。来年度には、同じ上海市内にもう一校開校しす。先日行われた運動会は、父兄合わせて4000人以上の人が集り、ミニオリンピック会場のようでした。
また、同じマンションに、海浜打瀬から来た秀一郎と同学年の男の子が、私たちと同時期に入居し、すっかり仲良しになりました。
いろいろ備えられ、恵まれていることに感謝です。
また、今日からインターネットで、毎週のメッセージの要約を見ることができ、皆様と恵みをお分かち合えるので、とてもうれしいです。
またお便りします。
在主、
佐藤律子
2005年9月30日
投稿者 佐藤律子&秀一郎 : 2005年09月30日 13:45
律子さん,秀一郎くん,お元気そうでなによりです。
新しい生活も楽しんでいるようですね。
ご家族の姿が目に浮かぶようです。
教会でもいつも祈りに覚えています。
いつでも書き込んでください。
#みんな寂しがってますよ~
投稿者 arata : 2005年10月01日 00:57
さとうさん!元気ですか?お元気そうで何よりです(まねっこ)。
上海の日本人学校おっきいんですねー。私が中学生の時、クラスに2人もそこに行ってたことがあった子がいましたそういえば。秀くんもお友達たくさん出来そうですね。上海も寒くなってくるのかと思いますがお体に気をつけてください。
投稿者 さり : 2005年10月15日 00:08